2019年12月28日土曜日
今日の想い 1049
少なからず尊敬していた諸先生、諸先輩が反旗を立てると、食口達は途端に彼等は霊的におかしくなったとかサタンに奪われたとか当然のように断罪して不信仰の烙印を押してしまう。上の意見に同調することを当然としている。そうはいっても彼らは疑問のいくらかはよぎるのだろうか。御母様の元に留まるのは正しいとしても、だからといって出ていった先生方をサタン視するのは間違っている。信仰歴も信仰も、み言葉に精通しているのも、当然自分よりも素晴らしいのは確かであり、ましてや御父母様の間近で侍ってこられた方々だ。どうして全てに勝っている方々が反旗を立てるに至ったかを尋ねることはないのだろうか。私が天に尋ねた限りでは、既に先天時代の慣れ親しんだ観では相対できない時代圏になってしまったという結論が降りてくる。願われる信仰の在り方も先天と後天とは大きく異なる。天地創造の史実を聖書にみるように、全く新しい時代であり、ということは新しい天宙ということであり、混沌の中に光を放たれて創造が為されたように、環境創造は真の家庭を含めた統一食口達の混沌と、それを投射するような地球と世界のあらゆる混沌の中に真の愛が放たれて新しい天宙、後天開闢時代が出発する。しかし創造は自由意志あってこその創造だ。教条的で受動的で指示待ち族に留まる限りは創造とは無縁の存在だ。かの国で飼い慣らされた民からは革命は起こらないように、先天信仰にどっぷり浸かり、裁きを恐れて罪の許しを請うばかりで、どうしてそこに新しい時代の息吹が感じられるだろうか。ある意味、私達誰もが反旗を立てた諸先生、諸先輩に続くべきであり、先ず本心の声を発する意志を発動させて口を開くことだ。言いたいことも憚れるような組織で一体何の自由がもたらされるのだろうか。良心が解放されなければ自由の精神は立たない。
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