2021年11月8日月曜日

今日の想い 1120

人生は辛くて当然、苦しくて当然であり、本流に届いていない人生であれば未だ夢から覚めないまま楽しく思うのかも知れないが、人生は難度海そのものだ。仏の教えに大願成就という言葉があるが、大願とはこの世のどんな人も救われなければ仏である私も救われないということであり、その願いは成就された、よってどんな人も救われているという教えだ。南無阿弥陀仏とは弥陀に帰依しますという意味であり、その言葉をつぶやくことで弥陀の大願と通じ合えるとする。これが仏教の根本であり、帰依することで自分の中に住まわれる仏と一体となる。御言葉も同じで良心という神様が私の中に住まわれ、良心に従うことで天の心情圏の中に生きる。良心は親に勝り師に勝り神様にも勝る、という最後の結論を出されて霊界に旅立たれたけれども、真の父母の勝利圏は私達の良心の中で生きておられる真の父母だ、と私は捉えている。人生は魂をして闘いの連続だけれども、御父母様が勝利しておられるのだから良心に従えば問題ないと語られる。どんな苦労も私の心を強くするためのもの、或いは見えない愛を見えるようにするための手段であって、結局は真の父母の勝利圏内のことだから思い切り苦闘しなさいと語られる。戒律の厳しい出家に対して、普通の生活をしている者達への教えとして在家信仰が広まったように、真の愛の平準化、大衆化が摂理の流れとはならないだろうか。祝福家庭はその使命があると私は思う。在家信仰として、生きて生活する中に信心さえあれば浄土は約束されているという浄土真宗を親鸞が開いたように、真の愛の実感を生活の中で受け取れれば地上世界は大きく変わるはずだ。真の愛の革命が起こる。この苦悩の向こうに何があるのか、苦悩故に見えてくる光があれば、苦悩は希望的に超えられる。

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