2021年11月18日木曜日

今日の想い 1121

私達一世は信仰の在り方を補正すべき時に来ている。太陽は等しく万人に光を注いでいる。そして注ぐ光に対して一切見返りを求めない。人間が愛の恒星存在になる為には、この太陽に学ぶ必要があり、善悪、好き嫌いの枠を超えて、誰もが受け取れる愛であるべきだ。そして与えた愛に対して一切見返りを求めてはならない。しかしこの美しすぎる生きるイメージは、現実の世界では危なっかしいものだという判断と共に備えるべきだった。私達一世は全てを投げ打ってこの道に献身した。見える見えざるとに関わらず、背負った罪と蕩減にのみ意識の光を充て続け、だから或る中心者達の中抜きであろうが献金が何に使われようがそれは天が介在して裁かれることであって、私の意識をそこに向けるべきではないというのが信仰の当然としてあった。二世からすればなんと愚かな人生だと思われても、信仰ありきでの人生だったからそうならざるを得なかった。そして信仰の拠り所は把握できず見えない霊界生活、さしむき信仰を全うすれば天国に行けるという希望だから、霊界があからさまにならない限り砂上の楼閣は崩れない。地上天国に住まわってこそ天上天国に暮らすことができる、というこの御言葉が正しいなら、本来は外的に供えて与えることよりも内的に供えて与える、すなわち霊的生命を与え真の愛を示し天の血統を繁殖させることだ。自分の人生設計もままならず生活さえもままならないのに献金という外的に供えるのは、供えているのではなくばら撒いて捨てているのと同じだ。一方で多額献金しながら、一方では与えるどころか国や地方自治に養われているようでは、二世から見れば与えられるような存在とはとても言えないだろう。しかし数十年繋いできた意識はそうそう変わるものでもない。少なくとも二世は一世を反面教師として、地上に天国を築き、天国生活を地上で歩めるよう努めて欲しい。願わくは愛の裏返しで恨みを抱かないで欲しい。

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