2021年12月26日日曜日

今日の想い 1126

 教会は三分裂したと否定的な意味で捉えているのが大方だろう。実態を見るなら三分裂どころか家庭の数だけ分かれた状態に今あると言っても過言ではない。否定的に捉えるのは元の状態こそが正しいと判断する先天の教会観が備わっているからだが、様々な位置や位相があってどの観が正しいとは一概に言えない。私としては分裂という言い方は首をひねるとしても、分かれて存在しているのは食口達にとってたいそう有り難いことだと思っている。一極集中が摂理を推し進める場合もあるだろうが、そこには敢えて口を閉じ、抑え込められた摂理発展の芽も幾多あることもまた事実だ。御父様という一大理想が実体として存在していたから一極集中も有り得たわけだが、御存命であっても90を超えられていて、中心的摂理にのみ全体が呑み込まれる一極集中の期間は既に限界が来ていた。分裂を反逆と見るか正分合の分と見るかは何処に立っての観方かによって変わってくる。アボジの願いはそれぞれの良心に宿っていて、個々の良心に従うことで自ずと全体の救援摂理も進展していく。後天時代の私の信仰はそれを信じる信仰だ。私自身の良心も立てると同時に、他の食口もそれぞれの良心を立てて歩んでいると信じて彼等に接する。この世でも人々は多様性の時代だと口にしているように、食口の摂理観もそれぞれで異なる多様性の時代だ。その認識上で最も注意すべきことが何かというと、先天の教条的な自分が囁く「お前は罪人だ」という説得であり洗脳だ。その囁きには「先天はそう言われ続け、そのように信じ行動したけれども私自身の霊の成長はなかった。もやはその囁きに対して相対はしない」と断言して新しい魂の自分を飛び立たせるべきだ。

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