2022年1月1日土曜日

2022年の時代霊を迎える

 御母様は御母様で、お二人の御子女様は御子女様で、それぞれの使命とされる道に献身されたのだろう。神輿を担ぐ食口達も、それぞれ信じる中心に一片丹心を捧げたのだろう。誰も彼等を批判することはできないし、私はただ頭が下がる思いだけで何の言葉もない。私は彼ら以上の事をしてきたとは口が裂けても言えない。しかし私にはそれだけでは良しとされない直感を、歯がゆくも覚えている。ウィルスで肺がやられ、アボジが今生の際(きわ)で呼吸困難の苦しみを甘受されたように、溺れた者達が世界規模で溢れているこの時代に、食口達がそれぞれの信仰を保ち繋ぐ意味とはいったいなんだろう。神霊は人類をどう導き、聖霊は歩み続ける者達とどう共にあって支えるのだろうか。神霊を認識し、神霊が導く中心的摂理に私達は応えようとしているのだろうか。ではその中心摂理とはいったい何だろう。いつも口にしているように、神霊を受け取って摂理観が立っていなければ本人の信仰がどれほど篤かろうが盲目的であり独善の域を出ることはないだろう。先天の意味を個に於いても全体でも問う総括を多くの食口がしていると思われるが、先天を歩んだ意味や先天で残した結果を解らずして後天の摂理を牽引していく群れにはなれない。2021年が去り2022年を迎えた。2021年の中心的時代霊が2022年の中心的時代霊に交代する。神霊にまみえることができる本宮への参拝は夫婦一体圏でなされる。祝福家庭であればその秘儀を伝授されているはずなのに、しかし祝福家庭の中ですら夫婦一体圏が等閑(なおざり)にされている。思考によって神霊を受け取る先天の時代はとっくに過ぎ去っているのに、それでも思考で捉えようとしている食口の方が多数派だ。それでは神霊を受け取れないし摂理の本流に出会えることもない。第四次アダム心情圏に位相を置く第四次アダムの群れとはなれない。その認識を得て、多くの食口が目覚めることができる2022年でありますように。

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