2022年4月10日日曜日

今日の想い 1145

天国実現、世界復帰と大仰な口だけは叩いてきたものの、真の愛どころか果たして世間一般に理解できる愛すら持ち合わせているのかどうかさえ疑問だと思うだろう。御言葉を受けてきて訓読し続ければ真の愛という概念の輪郭ぐらいは理解していると思っていたけれども、しかし理解するとしても行動して真の愛の実を差し出すことができなければ、本当に理解したということにはならないだろう。結局、理屈だけはこね回して理解した気持ちになるという自己満足でしかないのだろうか。摂理もあとは繋ぐ二世に任せるしかないと口では言うけれども、そう言って誤魔化して逃げているだけのように思う。たしかに御言葉を受けた当時は、天が期待する自分だという誇りと期待に溢れていて、万物復帰等の条件を克服して余りある意欲はあった。今は確かにそれはない。しかし当時に比べて劣化したものばかりではない。物事を冷静に見る目は格段に高まった、と思う。それは或る面、教会を反面教師に学んだものではあるけれども、かと言って教会生活の全てが嘘で結局この世の見方に帰っただけだと言う輩とは異なり、極端ではあるものの教会に関わってきたことで教会にさえない真の愛がどれほど崇高なものかがわかり、霊的に見るという意味がこの世の者よりは解り、本当の価値がどういうもので何処にあり、どう装ってきたかを見る目は秀でていると思う。だからコロナに翻弄され更にロシアに翻弄されてる世界秩序がどういう方向に落ち着き、何が台頭してくるのかは食口の方がより見る目においては進んでいるはずだ。そう思うと若かりし頃のみ旨に燃える想いは消えたのではなく、形を変えて地上改変と地上創造の叡智を受け取る器に代わったという事なのかも知れない。アボジのピースカップの御言葉が特に気になる此の頃だ。

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