2024年5月20日月曜日

今日の想い 1294

断食すれば万物がどれほど恋しくなることか。断食した者でなければ万物に対する恋い慕う想いや、それこそ喉から手が出るほどの万物欲求の強さは理解できないだろう。断食をやめるとまたその想いは薄れるのだが、それでも万物を恋しく想う体験は魂にしっかり刻まれ、思考にも意志にも感情にも影響を与えるようになる。そのように断たれることで断つ対象への想いはつのり、対象を得たいがための渇きに苛まされはするが、その体験によって対象の本質を学ぶことができ正しく対象に相対することができる。すなわち対象と授受でき一体になれる。食口であれば性に対して厳しく戒めを課せられてきた。家庭を持ってからもそうで決められた相対以外の関係は当然認められない。繁殖以外で異性を求めるのは人間が霊的存在であるが故の欲求であるにも関わらず、そこに縛りをかけて遠ざければ遠ざけるほど渇きは増すばかりだ。どれほどみ言葉に忠実に生きるとしても、その渇きから逃れるのは至難の行で不可能に近い。もちろん大方の食口は決められた夫婦も家族も壊すことなく生涯を終えるのだが、結果としてその渇きが癒えるかどうかは関係なく、そんな食口は稀だろう。でも私は人間としてそれで当然だと思う。その意味では一生、性のみならず何らかの渇きを味わいながら生涯を送っていくものだ。人間は欲望の存在であり欲望とは渇きを癒したいという願いに他ならないからだ。私達はアボジが語られた絶対に対して、その言葉を知っているのみで何らの意味も本質にも近づいていない。性には甘い快楽の後に深い罪悪感という罠が待っている。それは夫婦間ですら同じで、倫理的に良しとされ罪悪感は最小に留まるものの虚しさは覚えるし、交われば交わるほど渇きは癒されるどころか更に渇きは激しくなる。それは例えていうと渇きを海水で癒すような感覚だ。真水の性ではなく海水の性であるのは絶対性に至っていない相対的性の反復に留まり、そこに何らの創造も為されていないからだ。

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