献身生活は共同生活だ。一つの館に大勢が住み、全体スケジュール中心でパーソナルな部分はほぼほぼ無視されて、ベルトコンベアに乗せられたように毎日が消化されていく。共同生活していればお互いをよく知り合い、情的にも深い付き合いになると思うだろう。しかし私達の実態は全く逆だった。大勢の中にいながらそれぞれは常に孤独だった。私に対して誰も心を開かないし自分から心を開こうとしたこともない。帰国してすぐ大会があって名古屋まで行ったことがある。名古屋は訪米直前まで歩んでいた場所だ。会場の中で当時の中心者から、懐かしい数人に合わせてもらった。私は相手を覚えていたが、しかし相手は私を覚えてはいなかった。辛うじて名前だけは思い出してくれた食口もいたけれども、お互いああそうですかで会話は終わった。日本で共に歩んだ兄弟で、付き合いを続けてきた兄弟は一人もいない。兄弟と呼んだり食口(シック)と呼んだりするけれども、食口どころか同僚ですらなかった。ほぼ前線で朝から夜遅くまで歩んでいたし、帰ったら疲れ果てていて、目をこすりながら食事と反省会を済ませ、後は寝るだけだから当然のことなのかもしれない。戦時の死ぬか生きるかの中で共に歩んだ、戦友と呼ばれる関係性とは全く無縁だった。食口は皆、堕落性を持つ罪人だった。異性との会話どころか同性であっても、冗談を言い合えるような雰囲気すらなかった。「根明のsouka、根暗の教会」だった。地獄を一度通過しての天国への道だということはよく言われたし、そう思って耐えてきたが、私自身日本の教会にそのままいれば通過はおろか地獄のまま抜け出せなかったかもしれない。教会にいる二世達が教会の存続にあれほど一生懸命なのは、私が通過してきた当時の教会とは中身が全く異なるからだろう。
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