2026年5月10日日曜日

今日の想い 1467

 過去を辿ってみて、私達は勝利した体験を持ち合わせているだろうか。様々な摂理的戦略がアボジから出されてきたが、それをアボジが勝利と認められ、私達もその勝利の実感を持ったことがあっただろうか。もしあるとすればアボジが立たれた大会の数々だろうけれども、それらが私達の中に勝利的体験として刻まれているのかどうか。アボジ自身は勝利を認識しておられただろうし、それ故に次なる霊的摂理段階へと駒を進められたのだろうが、問題は私達の中にその同じ勝利体験があってそのアボジの想いや認識を共有していったのかどうかだろう。それが無いか曖昧なら、その勝利は私と関係ありと言えるのだろうか。確かに外的な人数も、扱う万物も増えて大きくはなった。それは成功のひとつだろうと言えるかもしれない。しかし、今回解散させられてしまった。当然、成功の外的な意味は消え失せてしまった。少なくとも日本の教会は敗戦して潰されてしまった。日本人の霊性について研究されて、深い考察を持たれる鎌田教授は、常に勝者が政治や経済の権力を手にして敗者は敗者故の個と全体の否定感情から文芸や芸術分野に身を置いてきたと言っている。それは日本の歴史のみならず世界でもそうだが、敗者となった教会食口は国や世界を動かす政治や経済の道は閉ざされ、一端退いて内的確立を図り社会感情を動かせる道へとベクトルを変える以外ないだろう。今のまま突き進んでも、受け入れられる未来など想像もつかない。学会のような党を持てる力にも為り得なかったしこれからは更に活動を自粛させられる。聖和以降、教権の責任ある立場に立つ者がどういう摂理的方向性を取っていたのか、正直なところ私にはただ金集めと豪奢な神殿建設一辺倒の道しか見えなかった。あの建造物群は教権という権威の象徴なのか、或いはあの建設で霊的に突破できる何かがあるのか、摂理的意味のひとつも知らないし教えられていない。御母様が聖霊実体としての歴史的天宙的立場が、権威を立てられることだとはどうしても思えない。

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