2007年8月24日金曜日

御父様との繋がり

今年の夏もNORTHGARDENの地に来られる。数年前一度だけ修練会の食事担当で行ったことがあるが、間近でご様子に触れられるのは恐らく他に機会をみることは出来ない。その一度だけでありながらも発たれる最後の一同を会しての記念撮影を図らずも逃してしまった。担当の兄弟に言いくるめられ、荷物を運ぶ役を仰せつかったからだ。今の今まで何十回と食事を担当させて戴く光栄に預かりながら一度としてまともな一枚の写真の中に御父母様と自分という構図はない。しかし全く無いというわけでもない。一枚はお食事の後ご挨拶させていただいた折ひとりの姉妹が取ってくれたものだが、悲しいかなぼやけている。今一枚は食事担当でNORTHGARDENに行った折お供え物を自由に取っていくようにと話され、兄弟達が次々と取っていく様子を側で見ておられるのを、これ幸いにひとりの兄弟に頼んで一緒の構図が取れるようになるべく御父様の近くにあるお供え物に手をかけたところを取ってもらった。しかしこの一枚も激しくぶれている。というわけで自分の信仰を表したような写りの二枚が大切な宝物のひとつである。その修練会では夕食の後、先輩諸先生の証し会が持たれたが、中でもひとりの先生の証しは強く印象に残っている。ダンベリー収容時で共に過された証しをされたのだが、その話の中でレストラン業務と非常に関わりのある話をされた。レストランと御父様とどういう関係があるのだろうと疑問に思っている兄弟に、是非この話を伝えたい。収監所の中で食事担当を与えられて準備する、ようするにテーブルセッティングの係りなのだがその時御父様がその先生に指示され行ったことはナプキンにしろフォークスプーンにしろ、そしてペパーやソールトの小瓶の類まで、全て等間隔にそしてテーブルの手前の端からのナプキンの位置まですべて物差しで測ったごとくに几帳面で、見た目に美しく並べられることを徹底されたと言う話だ。心に響く多くのエピソードの中で、この触りは普通の兄弟にしてみればサッとやり過ごす話なのかもしれない。しかしレストラン業に携わりながらだと、この様子が心に浮かんで来て心が締め付けられる思いがする。御父様自身がセッティングをされながら、そのどうでもいいように思われるこだわりを持たれて精誠をつくされる、そこに言葉では言いようの無い、為に生きそして尽くすことの純真さが表されていると思った。オープン前の準備中、私は時間が許す限りテーブルセッティングに投入する。全ての椅子の位置が測ったように真っ直ぐ置かれ、ナプキンと箸の位置も各テーブル寸部を狂わず決められ、昨日の客の宴を徹底して払拭して今日のお客様の受け入れ環境に余念が無い。ある時は御父様に想いをはせながら、ある時は自分が御父様のその時の体験そのものを味わいながら、他のどの責任者もこの現場に身をおかずとも、御父様が率先して汗を流されたことがこの上なく有難く、素直に嬉しい。しかし前もってセッティングしていたサーバーが私の行動を見て、いつもいぶかしい顔をしている。

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