2007年10月25日木曜日

レイカン商法

こっくりさんを知っているだろうか。一枚の紙にひらがなを書き並べたり数字を書き並べたりしておいて、中央に10円玉を置く。普通3人だが周りを囲んで人差し指を10円玉の上に軽く置く。神妙な気持ちでコックリさんに登場をお願いして問いたい内容を丁寧に尋ねると10円玉が勝手に動き始め答えの文字を順に追っていく。ひとつの交霊術だ。小中学校で流行り、忘れた頃にまた流行っていた。時々おかしくなる子もいたりして中止令が出たこともある。霊的な存在からの情報を得るという手法は現在の我々に於いても十分使えると思っている。こんなおどろおどろしいやり方ではなく、内的アンテナをしっかり立て霊的感性を開いていくと様々な知恵やインスピレーションが与えられる。毎日の営業を終え従業員が三々五々帰ったのちキャッシャーの閉めをして一息ついて、そして自分流の交流会が時々開かれる。ただ単に祈りの形で神様と交流したり、先祖をお迎えして歌ってみたり、すしを用意して食べて戴いたりと形は様々だがいろんなことをやって見ると面白い。たまには霊界にいる歴史上の大物人物を招いて討論したり質問会を開いたりすることもある。危ない存在だと思われるかも知れないが、私はその場でいろんな知恵を戴いたり悩みがあっても内的に悟らされたりと多くの気付きを与えられた。十数年前隣にチキン屋が出来た。その頃は寿司よりチキン照りの方が売上げは良かったので隣の店には結構食われそうな恐れがあった。案の定、開店早々から影響があった。特にランチ客を食われた。何とかならないでしょうかとその地の霊にお願いするとひとつ閃いた。エリコ城の陥落である。直ぐその場でチキン屋の周りを願を掛けながら七回回った。これで勝ったという実感があった。ランチへの影響は暫く続いたが、不安や心配は私から消えた。その店は半年ほどもって閉鎖した。今考えると決して褒められるようなことではない。お互いが持ちつ持たれつの関係にあったほうが良かったと今は思う。しかし私の切実な念に仕方なく答えてくれたのだと思う。これはあまりにも低級な例ではあるが高い次元での霊界とのやり取りは在ってもいいと思う。前にも書いたがそういった意味での霊感商法を我々は取り入れるべきだ。TPの儀式内容を観察すると仏教界の代表やユダヤ教界の代表としてその場にいる責任者を使命されたり神様の座られる椅子を用意されたりされる。その代表には霊界にいる本当の代表がその人と共にあり、神様が事実その場におられることを理解しないといけない。儀式的ご都合上のことではない。そういった霊的内容に意識を持つようになると店の存在に対しての見方も変わってくるし、それぞれの客の雰囲気や行動に対する見方も変わるし、従業員への対し方も変わってくる。店に漂う空気の流れすらも意味を持ってくる。しかし本部に対する見方だけは様子が違う。霊的にもいろんな力関係があるようでより複雑さを帯びている。その辺のところは見えないし見たくない。お写真をどの家庭でも戴いていると思うがそれは写真ではなくフレームを通して御父母様が我が家庭の生活を事実見ておられる、という気付きを得ているだろうか。それを唯の写真と捉えるのは大きな間違いだ。

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