2007年10月24日水曜日
事故
季節は覚えていない。上着を着ていた覚えはないから初秋の入り頃のように思う。その日秋田の展示会の動員を手伝っての帰りで夜半過ぎ盛岡まで車を走らせていた。対向車も数えるほどしかない。途中から雨が降り始めたが運転を遮るほどでもなく車の足回りは軽快で楽しかった。直線道路がしばらく続きハイビームで照らされた先には何の障害物もない。霧雨に吸い込まれるように加速していった。慎重な性格ではあるが免許を取って一年近く経ち、驕りが出始めていたのだろう。制限50キロを優に超え80キロ辺りを針は振れていた。スピードという快感に浸っていた。と急に左カーブが現れる。あまりにも唐突だった。ヒヤッとした危機回帰の意識がブレーキにかけた右足を極度に突っ張らせる。減速するはずが車は期待を無残に裏切り滑る様に走っていった。ハンドルを一気に切る。尻だけが右に大きく振れ反対車線に突っ込む。急ぎ左に切り返す。今度は左に大きく振った。右足はその間突っ張ったままだ。こうなるとハンドルもブレーキもしがみつくだけのものでしかなかった。車の鼻先がガードレールのない道路をはみ出したとき、若干首を落とし身構えた。時間的余裕が全く無い状況で怖いという感情は出てこなかった。こういう時、身に起こりうるどんな状況も受け入れることを覚悟させられる。車が道路を飛び出し相当の落差を転がり落ちていく。ヘッドライトに照らしだされる断片的な景色を視界から遮断するように、ハンドルを握り締める手の一点を凝視し続ける。身体の浮いていた感覚がしばらく続いた後、激しいズンという衝撃を腹に覚えた。動きは止まった。腹側を無残に晒した車から蒸気でも吹いているような音がしばらく続いていたが次第に止んでいった。ダッシュボードが勝手に開いて中から紐のついたお守りのようなものが転げ落ちた。ガソリンに引火して爆発しかねないという不安がよぎる。そのお守りを手にすると開かないドアのウィンドウをかろうじて下ろし、体に無理を強いて外に這い出た。雑草に覆われた下のほうに小川が流れているらしく、せせらぎの音が聞こえている。静けさが自分を包んでいた。ひょっとしたら霊界なんだろうかと訝るほどに一瞬前の状況とは正反対で、自分の身体を撫で回しながら生きていることを確認した。急におかしさが込み上げてきた。車は全形を全く止めず潰れているのに自分はかすり傷ひとつ負っていない。暫くそこに腰掛け静寂のなかで広がる平安に身を委ねた。暫くして我に返ると、とにかくこの崖を登って上がる必要があることに気付いた。やおら腰を上げ、雑草を鷲掴みにしながらやっとの思いで道路上まで這い上がった。息を急かしながら外灯が届かない崖下に目をやってみる。改めて起こったことの重大さを認識して言葉を失った。遠くの方に電話ボックスを認めると小走りに近づいていった。受話器を手にしたものの呼び出しを躊躇してしまい、どう切り出したらいいのか悩んだ。思案に暮れていると左ポケットの中で何か手に触れるものを認めた。取り出してみると脱出する前に掴み出した布包みだ。紐を緩め中の物を確認すると、小さい石ころが入っていた。それがある姉妹が持っていた涙石であることにピンときた。秋田に行く折彼女を乗せたが車の中に忘れたに違いない。そうか、自分はそれに救われたらしい。自分の中でうやむやな想いが吹っ切れた。改めて受話器を取り直し、はっきりとした口調で責任者に連絡し、地元の警察署へも連絡した。守られていたことの気付きを与えられ、事故の流れを思い起こしてみると、確かに転がり落ちる間、真綿でくるまれている様な感覚もあったし更に不思議なのは映画のスローモーションの一シーンであるかのような時間の流れがそこにあったということ。東北は霊界に近い。強い自然霊を特に感じる様な気がする。雑霊悪霊の類も経験したが、霊的なものに助けて頂いた実感はこのときが始めてだ。
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