2015年3月19日木曜日

今日の想い 836

華々しい経歴と実績を持つ二世の証しは、この世が屈服するに足る実力を十分備えていて御母様の願われる環境創造を実体化させていることが伺える。喜ばれて当然だろう。組織の意のままに素直に従いついてきたティピカル二世、彼等のドングリの背比べから環境創造の願いに応える二世が本当に現れるのだろうかと頭を傾げたが、こんな二世も用意されてきたのかと驚かされた。信仰姿勢に於いて普通の良い子と言われて来た二世達にとっては刺激になるはずだ。組織の意のままに動いているだけでもてはやされて実績がなくてもよかった時代から、実績がなければ御母様も振り向かず天も振り向いてくれない時代に入ってきた。この愛の減少感が二世達を揺らして本物への試練を受けることになる。今までは普通のいい子達であってそれなりに丸い人格なのかも知れないが極めて小さな丸に過ぎず、普通から敢えて丸を壊すという改革的なベクトル意志は生じない。彼らが覚えるであろう愛の減少感に翻弄される過程で、み言葉の中の存在でしかなかったサタンを実感するだろうし、神とサタンの間で揺れる自己を知るだろうし、本物しか残っていかない過酷さを知るだろう。彼がどれほどいわゆる教会活動と言われるものに関わってきたのかわからないが、イスラエルの民の中で育つのではなくサタン圏の中枢である宮殿の中で育てられたモーセのように、教会活動とは直接に関わらずにこの世の中枢に身を置いて、その環境が彼を育てたことが伺える。彼に取って母親とは死別し父親は教会活動で彼の傍にはいないというこの環境が恨みにもなる諸刃の剣だったし、この世のサタンの知恵や知識の洗礼を受けて地上の名誉や栄華だけを指向しかねないというのも諸刃の剣だったはずだ。彼が提言した、教会がカルトと見做されているという問題があるにも拘わらず、彼が教会員であること、二世であることを隠していない。隠さないことで制裁を強く受けるだろうに彼はそれを敢えて隠していない。そこが二世であることを隠して実力をこの世で発揮している二世とも異なっている。彼のような二世がどれほどいるのかわからないが、素直で思考判断を忘れている二世にも、思考判断しすぎて神への意志を忘れている二世にも、大きな刺激となって欲しい。

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