2015年3月25日水曜日

今日の想い 837

私達が御母様の言葉を伺う時、どのような位相に立たれてその言葉を述べておられるかを考えなければ誤解が生じかねない。神様の一人娘であり、原罪のない立場で生まれたという御母様の言葉は、御父様はこの堕落圏からエバを復帰して真の母として立てられたという言葉とは矛盾するように思える。では御母様のこの言葉は明らかに間違っているのだろうか。先ずはっきりとさせて置くことは、原罪のあるなしの問題は血統の問題であるという、そこまでは納得しても血統の問題を地上の血縁関係の問題だと思っている。しかし本当にそうだろうか。堕落が起こったのはエバとルーシェルの関係からだけれども、ルーシェルは地上の存在ではないのでルーシェルを相手にするだけで地上の血縁関係が出発するはずはない。地上の血縁関係は、アダムが完成して神の位相に立つことでアダムと一体の神御自身がエバと結婚して血縁関係を出発させるように、ルーシェルもアダムに代わる地上人の体を借りて、或いは一体となって、ルーシェルがエバと肉体関係を持たなければ、地上に於ける堕落の血縁関係は出発しない。ルーシェルは神様がそうであるように、地上の体を持たない存在であるので実体の子をもうけることができないことは明らかだ。御父様はある訓読会でアダムの伯父がエバと関係を持ったと言われたことがある。それは伯父を通してルーシェルがエバと交わったということだ。当時の霊界と地上界の状況と、現代の霊界と地上界の状況を同じだと思わない方がいい。現代の地上界は鉱物植物動物人間の位階が明瞭に分かれているし、そのように存在輪郭も明瞭だが、よって人間の自我意識も明瞭だが、人類始祖が地上に存在し始めた頃は、位階も輪郭も意識も曖昧なのではなかったかと思える。類人猿を表象する限り、人間が外的には動物の一種だと思われるのも未だ棲み分けが明瞭ではなかったからだ。結果の世界である地上界の出来事は全て原因の世界である霊界の出来事の表象であるけれども、人間が肉心と肉体だけを持つ存在のみならず霊の存在でもあるから霊界の出来事に加担している。すなわち地上の原因を作っている。私が如何に霊的意志を持つかが霊的原因要素であり、霊的原因要素は地上界の因果関係のような時間と空間に縛られない。よって私の霊的意志の方向性で始祖の堕落の要因にもなり得るし、真の御父母様の勝利の要因にもなり得る。話は随分回り回ったが、御母様の発言を地上の血縁関係という時間と空間に縛られる結果世界の言葉と捉えてしまうと、御父様の言葉とは相容れないように思えるけれども、真の御父母様は真の父母として立つまでのあらゆる霊的段階(位相)を勝利されたのであり、勝利されたからこそ御母様は神様の一人娘であると言え、原罪の無い立場、すなわち堕落のない完成の立場は位相の最上階に立たれればこそ霊的に言える立場だ。この御母様の言葉を受け入れる者は霊的勝利圏に共に立ち、疑問を投げかける者は霊的堕落圏に立っている。位相の段階を上げて行くということと、復帰は堕落の経路を遡っていくということは同じであり、歴史を遡って原因の原因である神様の段階にまで到達する。御父様は御母様を真の娘として、真の妻として、真の母として、さらには神様の相対として立てる為に御母様に対されたけれども、私達は意外とその意味する事柄を知らない。普通に見て聞いて対すればおぞましいほどの事柄であることを知らない。堕落圏のありとあらゆる堕落的扱いを受けながらも霊的に堕落されずに勝利されて位相を上げて行かれたからこそ真の父母として立たれている。その路程の内的霊的過酷さからすれば、いうなれば御父様を真の父として産み出したのさえも御母様だということができる。御母様は確実に神様の一人娘であり、原罪の無い立場でお生まれになった。御母様の勝利への路程と勝利がそれを証明している。私達はそう公言される御母様を真の母として戴いていることが希望の源であり幸福の源だ。

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