2015年9月26日土曜日

今日の想い 881(神様は親だから去った者には優しく共に歩む者には厳しい)

私は御母様に従いますと、そう言って留まり同じようにしていていいのかというと、それで問題が解決するわけではない。すなわち摂理が進むわけではない。分派に対して批判はするけれども、ではどれだけみ旨に対して真剣であり結果を残す者となっているかは別問題だ。ある意味一大決心をして新たな中心軸に従おうとする者達の覚悟は認めなければならない。それ以上の覚悟を私達は引き受ける決意を供えてこそ、去った者達も浮かばれるというものだ。教会から去っていった多くの者達がいる。それは躓いて去った者も中にはいるけれども、日本食口に関する限りは大半が厳しさについていけずに去った者達だ。彼等がその無念を抱えずに楽しく人生を送っているとは思えない。負債という重荷を背負いながら目立たず息を潜めて暮らしているのが実情だろう。御父母様は去っていった者達への想いはないだろうか。彼等を思い出すこともなく忘れ去ったまま摂理に向かっておられるだろうか。彼等の無念を晴らし、彼等が負債を覚えるのではなく一時ではあっても一大み旨に参画できた喜びを受け取れなければ、御父母様は真の愛の御父母様ではなく彼等にとって裁きの御父母様になってしまう。御父母様は人類の真の父母だ。誰一人として許しを受けられず愛を受けられない者があってはならない。ましてや厳しい時期にみ旨に参画した者達が耐えられず去ったからと言って、どうして負債を覚えなければならないのだろうか。しかし今の現状はそうなっていない。それは未だ戦いの最中にあるからだ。実体的天一国が立ち、世界復帰の見通しが立つまでは中途離脱した者達へ向ける意識など割けないからだ。御父母様が勝利されたのだから実体的天一国は必ず立つ。それは私達の関知しないうちに別の環境創造から建つのではなく、どんな犠牲が供えられるとしても私達の手で建つ。国を建てるなど言葉だけで他人事のような私達に対して、未だ意識に於いて眠っているような幼い私達が世界を凌駕するほどの意識を覚醒させる為には、思いもよらない事件が起こるだろう。そうして遅かれ早かれ残った私達は、かつて誰も経験したことのない覚悟をそのとき迫られるだろう。

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