2015年9月6日日曜日

今日の想い 878(心と体の境界線)

先にも記したように祈祷自体を変える必要性を覚えて、導いてください、護ってください、何々してくださいという受身の祈祷を完全にやめることにした。これからは、何々します、何々をしましたという能動的祈祷に変える。私自身が変わることが第一であるが、変わるにしても変えてくださいとはお願いできず、変わりますと宣言する私になることが必要だ。受身で変えてもらうのではなく、私が私自身を変えていく。思えば全てにおいて他人任せであり、出来ないことを環境のせいにし神様のせいにしてきたことに今更ながら気付いた。もちろん頭では認識していたが、密度の濃い体を通過させて私の中に落とし込むには至らなかった。この心と体の強固な境界線を越えることが出来なかった。人は普通、この境界線を認識できない。御父様が心と体の戦いを一生続けるのかと常に私達に問いかけられたけれども、信仰を持つにしても、霊界を信じるにしても、それでも見えないこの境界線を認識して打ち破ろうとするには現実の自分自身と決別しなければならない。私自身がこの矛盾を超えて存在しているのではなく、矛盾の中に存在しているのだから境界線が認識できるはずもない。新しく生まれ変わった私、重生した私という存在に比重を移して現実の自分自身と決別する必要がある。心と体の間にある境界線、実は肉体の目覚めと眠りの境にある深淵も、意識と無意識の境という存在意識の有無の深層も、さらには地上界と霊界の境にある三途の川も、心と体の境界線突破と共に開かれる。食口の中には霊的に見えたり聞こえたりする者もいるけれども、本当の霊的感性は心と体の一体化と共に開かれるのであって、そうなっていない自分が霊的に見えたり聞こえたりするのは十分注意する必要がある。何らかの霊的存在が見させたのであり聞こえさせたのであって、その正体をわからずに、見たままを聞いたままを真実とするのは実に危ない。憑依体質と霊的感性の開花は全く異なるものだ。

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