2016年5月21日土曜日

今日の想い 920

御父様が最後に為された大会は「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会」だ。ニューヨークワシントン大会、ラスベガス大会、そしてソウル大会の三拠点で為されている。この大会の勝利によって三つの勝利権を謳っておられる。摂理の総体的覇権的勝利権、神様の解放釈放世界の勝利権、そして最終的結末を締めくくる生涯の勝利権の三つだ。その上で韓国が神様の祖国であり故郷になる。最初の勝利権は人類救済の勝利権、二番目は神様救済の勝利権、そして御父様御自身の生涯の勝利権となっている。その勝利権をもって基元節は確かに超えた。基元節を超えて御母様が地上に残っておられる。そして私達も地上に残っている。残っている者達は残って為すべき使命がある。御母様を中心として内的霊的にひとつになって為すべき使命がある。一つになる、という事の意味を取り違えてはならない。理解も納得もできないことを闇雲にお題目に掲げ猛進することが一つになることではない。日本の、願いを受けてきた信仰は先天時代に於いては誇れるものだけれども、後天時代にも同じように僕ぜんとして物言わぬ呑み込み存在に徹することが一つになることだとは思わない。実子の位置に立ったのなら物言って当然だろう。私はこう思いますと御母様の前で何故言えないのか。御父母様に畏れは抱くとしても恐れは堕落性と関係している。100軒の店舗にどうして固執するのか。100軒のラーメン屋をつくるのと、たとえ10軒であろうと、アメリカが、そして世界が注目する10軒の店舗をつくるのと、御母様はどちらをとられるだろうか。どちらを喜ばれるだろうか。100軒を言うのなら御父様は1000軒とも言われ5000軒とも言われた。その数字を御母様に示せば「ではそうしなさい」と言われないだろうか。中心者は相も変わらず食口の尻を叩き続け、首を傾げる目標を印籠を差し出すが如く叫び、訳の分からない事業に復帰した大切な資金を差し出し、意見のある者には中心批判という観念で苛め抜く。これが真の愛を掲げる家庭連合だろうか。その代表的位置に立つ中心だろうか。ピラミッド組織の統一教会がその使命を終え家庭連合という家庭の連合体となったにもかかわらず、組織は相も変わらずピラミッドで、その中心、トップという観念に捕らわれている。その意味での中心に誰がなっても混乱を来すだけであって、連合体としての代表という観念に変えるべきだ。例えばでいうとレストランはシステムで動く流通の卸しとは異なる。より創造的主人意識的な業態だ。それを無理にでも外的に一つにしようとすれば創造的主人意識的意志を殺いでしまい、レストランとしては成り立たない。一方で摂理があり、一方で現実がある。現場が常に現実に立っていて摂理からずれようとしているのではなく、現場の中に摂理推進の種があり芽が出ている。それを認めようとせず、組織の中心は常に摂理に立ち現場はそれに従うべき、という先天の旧態依然の認識がどれほど摂理を妨げているだろうか。その証拠に明らかに外に出てレストランを開いている食口の方が花開いているし軒数も多い。その摂理の理解も金儲けぐらいの低次元認識で、そんなものに人生を捧げて来たのかと思うといたたまれない。三大勝利権で基元節を超えた。超えたけれども、先天時代の亡霊が未だに闊歩している。

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