2017年6月10日土曜日

今日の想い 950

人間は情報に慣れてしまうし飽きてしまう。ミサイルが一つ飛んだだけでも大騒ぎしていたのに、何度も何度も飛んでいればまたかと思うだけで他何とも思わない。自分の五感を通して受け取る近辺は飛ぼうが飛ぶまいが何の影響もない。社会問題であれ経済問題であれ情報として流れる全ては慣れるし飽きる。情報は結局外のことであって、内のことでもなければ外と内を分け外から内へのフィルターでもある肉体のことでもない。教会のいろんな問題をどう捉えるか。多くの食口は問題とされる情報を受けても慣れてきたし飽きてしまっている。問題を言い訳にして抱えてきた内面の恨みつらみを吐き出し、自分の負の部分を相対的に平均値に戻そうと情報を漁る輩もいるが、しかし多くの食口にとって問題とされる情報を受けて自分に負として働かせる訳でもなければ敢えて正として働かせる訳でもない。ある意味他人事で済ませて慣れ飽きている。情報の霊的意味を捉えなければ皆と同じように流れに流され、死に向かう豚の群れの突進状態だ。独生女という言葉に慣れようとしている。独生女をとやかく言う輩にも飽きている。それは自分の内面の変化を嫌う感覚から来ているものかもしれない。小難しい説明を理解するのも面倒くさいし、今まで保持していた信仰観で実際今日を生き明日を生きようとしている。しかしそれは惰性であるし霊の成長を止めてもいる。今までの(先天の)信仰観で生き続けることはできるが、しかし願いを成就するには至らない。いつもやりますやりますと言いながら何もやれなかった先天と同じ流れで流されるだけだ。実りを本当に手にしたいと思うなら御母様に繋がる信仰観を用意すべきだ。御母様を否定しない者達もその殆どは先天の信仰観で生き、表面的に受け入れただけで未だその本質を受け入れてはいない。種は受け入れようとしているが乳を飲もうとはしていない。父がいて母がいて私がいるとは理解できるが私が一度生まれてしまえば母は必要なくミルクだけあればいいという話ではなく、母乳の必要性を理解した者が御母様の本質を受け入れる。

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