2018年6月2日土曜日

今日の想い 973

直属の中心者が聖和された。癌だった。救急で運び込まれたとき癌だと告げられたようだが、胃から肝臓に転移しており、既に余命を告げられるような状態だったらしい。それから2週間ももたなかった。実はそのしばらく前に私は本部にあがって対面し会話もしている。店を処分したこととこれからのことを報告した。その時は移植した腎臓も良好ですこぶる体調もいいと話しておられ、その通り顔色もよく何の心配もしていなかった。それから数週間のうちにこんな状態になろうとは私自身信じられなかった。あまりにも急な聖和式は地元の教会で行われたが、それでも礼拝堂に入りきれないほどの参列者で聖和式は賑わった。故人の人望の厚さが改めて伺えた聖和式だった。喜んで送りなさいというみ言葉のように、懐かしさあり笑いありの聖和式だった。言葉を述べた中の一人が、自分の時にどれだけ人が集まってくれるだろうかと話していたが、ひょっとしたら自分の子供でさえどうなんだろうかとふと思ったりもした。中心者とは意見の異なることも度々あったし、それでも自由にものの言える中心者であったことは教会の縦社会体質からすれば稀有の存在だった。誰からも愛される人望はひねくれた私にすれば羨ましかった。責任者になることを願われたが、私にそんな器はないことは重々知っているので、気分を害するほど言い訳めいた言葉を押し付け断っていた。今思うと彼の懐の大きさに甘え通しで、期待されていたにも拘らずその気持ちを反故にしたことは心苦しい。近しい存在が亡くなることは改めて死が間近にあることを認識させられる。どうして今、、という問いの答えを探しても、その場で見つかることはない。それよりも、いつでも去れる覚悟であり、その為にしっかり生きる覚悟を備えることが故人への祈りだろう。自分も遠からず後を追う、次は自分だという言葉が私の頭上から責めたてた。生きて為すべきことを死の直前に悟っても意味はない。生きている今の今意志を呼び起こせという警鐘が、私にとっての中心者の突然の聖和の意味なのかもしれない。御父様という大きな霊的柱が私の中心的位置に立っているように、彼もまた私の中の一つの霊的柱となられるよう受けた恩に報いたい。これからの霊的活躍を心よりお祈りいたします。そして、ありがとうございました。

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