2019年1月11日金曜日

今日の想い 1031

朝日がさしてくる。朝日の柔らかい光が私の頬を赤く照らし、そして地上への活動を促す。愛の活動とは愛する戦いであり、犠牲が伴うのは当然で犠牲のない戦いはないし、生きる上での恩恵として受け取るすべては過去の霊肉の存在の犠牲の賜物だ。食物となる犠牲の上にこの生命を維持しているように、ひとつの生は数え切れない死の上に成り立っている。私達は地上では頂点に存在しているものの、そこにただ君臨していれば善しとされるのではなく、魂と霊の犠牲を供えることで霊的高次元の生命のために活かされる。神の願いに生きたのなら神に繋がって神に所属し、地を支配している霊的存在に委ねて生きたのならサタンの所属から離れられない。地上のどこに所属しているかが問題ではなく、その位置でどう愛する戦いを繰り広げているかが問題だ。祝福を受けた者にとっては祝福を受けたかどうかが問題ではなく、祝福中心家庭の位置で祝福圏を広げる為にどう戦っているかが問題だ。この朝日を胸いっぱい吸い込みながら地上の恩恵を享受し、感謝を愛に変えて一日の霊の呼吸を吐いていく。すなわち今日一日を通して愛する意志を差し出す。愛さない者に生命の尊さはわからない。犠牲を知る者しか莫大な犠牲の上に紡がれる生命の輝きは見えない。私は愛の実を味わうだけの破壊者か、それとも愛の種を撒いて育てる創造者か、どちらの立場に立っているかはあらゆる犠牲への感謝から犠牲への意志、愛する意志、為に生きる私を紡ぎだし差し出しているかどうかだ。

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