2019年1月8日火曜日

今日の想い 1030

2019年の船出だ。過ぎ去った2018年の航海をどう捉えるか。2018年は何処から出発し何処にたどり着いたか。2019年の航海に出ても同じように位置が把握できず羅針盤が働かなければ、摂理の本流から見て支流の更に支流の流れに留まったまま、神不在の時空を曖昧に彷徨うことになりかねない。それは全体摂理の視点には立てない、すなわち摂理に歩むその霊的恩恵を理解できず受け取れない。地上的には時間と空間を移動しているものの霊的には迷って方向性を失っている。世界的流れという潮流がありながらそれを捉えられず取り残されるように、霊界も含めた天宙的流れの潮流があるはずなのに、原理にしろみ言葉にしろ自分流に捉えた神や摂理のイメージで柔軟さを失い、その動向を受け取れないか無視したままだ。基本私達の理解は個人や家庭の問題課題があって、それに縛られて摂理に貢献できていないと思っている。しかし今の私はどう思っているかというと、支流から本流に合流するように、個人的家庭的問題課題と全体摂理とはリンクしていて、一概に今抱えている問題のせいで本流である摂理と無関係だとは言えない。意志あるところに道ありと言うように、愛する意志あるところに神の摂理ありと信じている。御父様が言われたように、天国に入籍できる自分になるより天国を建設する自分になるほうが神の願いだという思いを強くして、それでこそ前向きになれるし新しい年に希望を持って船出できる。一世から二世、さらに三世にどう引き継いでいくか、祝福をどう与えるか皆が悩んでいるが、実はそんなことを思い悩んでも神は働かない。愛するとは信じていることを押し付けることではないにも関わらず、愛の何たるかを学ばずに受け取るものをそのまま押し付けてここまできた。430数も先祖祝福もそれが押し付けられたものではなく、能動的な自らの愛する意志としての行動でない限り神は働かない。少なくとも親として子に対する想いや行動には神が共にあり働いているように、神が共にある、即ち摂理の本流を航海する2019年にしたいなら、愛する意志としての自分になることを先ず決意することだ。 

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