2020年4月30日木曜日

今日の想い 1065(NEWHOPE号)

良心は人間理想の目的に至らせるための羅針盤だ。羅針盤という言葉があれば羅針盤を備える船が当然ある。羅針盤の良心に対して船は何かというと、知情意の魂を持つ人間そのものだ。心と体、即ち魂と肉体を持つ人間そのものが船だ。今の時はまさに万人の戦いの中にある。誰もが安着の大地を探しながら、大気という海の底で、コロナや経済や社会の問題に翻弄され、自我の存在目的を問わざるを得ない状態にいる。誰もが暗闇の中であり、大洋のど真ん中に投げ出されて、明日をも知れないという霊的暗闇におののいている。この世的に言われる道徳的な良心ではなく、御父様の言われる良心、神様が訪ねて下さる良心こそが羅針盤の役目を果たすのであり、羅針盤あってこそ人間として生きることができる。奉仕活動も素晴らしい。マスクの品薄時にマスクを作って献品するのも素晴らしい。しか道徳的に生きる以上に、生きた言葉を伝えて、生きた言葉で生きることを教えるなら、それこそが伝道だろう。どれほど祝福を形だけ授けても、生きた言葉で生きることを学ばなければそれは伝道とは言えない。はたして食口のどれ程が霊的に生きた存在として天が認めているだろう。神様は愛の神様であり親なる神様だ。今までの愛の概念を愛とすれば真の愛の神様だ。真の愛こそが縦的に90度の位置で船を立て直す。ニューホープ号を沈まない船と言われた意味は、良心という羅針盤を備えた船はこの世の荒波に飲まれることなく目的地まで無事に航海するという意味だ。誰につくかが問題ではない。献金高や祝福数が問題ではない。コロナやバッタが問題ではない。教条主義ではない良心を立てて、良心の願う通りに航海を全うできるかが問題だ。

2020年4月24日金曜日

今日の想い 1064

コロナだろうが何だろうがお迎えが来れば当然この世を去る。他人事のようにそう言ってのける自分に気付いて恐ろしく思った。この世を去るけれども地上生命の道理では何らかの外的原因はある訳で、何をもって地上を去るかは人間の霊的使命と関わりがある。地上に誕生する時にも地上で負うべき使命があるように、死(教会では死という概念はなく別の言葉を使う)という霊界への誕生にも、地上で得た実りをどういう霊的立て付けにするかを宛がわれて、その関係性で地上死の外的原因を用意する。だからなるようになる、と言いたいのではなく、実は真逆で、だからこそ現実の問題に対して、コロナウィルスに対して、能動的に対する意志を持つべきだ。既に多くの犠牲が供えられ犠牲は今の今でも増え続けている。生きている人間がこのウィルスとの闘いに真剣に臨まなければ、犠牲として供えられた何万柱は犠牲になった意味は何だったのかと問い続け攻め続けるはずだ。先ず食口が悔い改めることは、誰よりも世界に留まっている問題に対して責任を持つべきなのに、その責任意識と責任感情に欠けていることだ。ホロコーストはイエス様を受け入れず磔刑に追いやったユダヤ民族の蕩減?蕩減はそうなのかも知れないが、彼等に対してだから当然の報いでしょうと対するのは精神性を疑う。蕩減だと言い放てばすむ話ではない。コロナウィルスの蔓延は御父母様を未だに受け入れない人類に対する鉄槌?そう理解して言い放てば自分は神の側にいるとでも思いたいのかも知れないが、私はそう突き放す本人の穿った精神を見る。み言葉の本質を一つも受け取れないまま、自分が信じたい神のイメージという幻想を奉る為の黒魔術の道具に、み言葉が使われてはならない。御母様の指示があろうがなかろうが、中心からの指示がどうであろうが、食口は良心を取り戻して、先ずその良心の声に相対してほしい。人類に対する試練なのはその通りだが、それは神様御自身の試練でもあり我々が本物かどうか、更には祝福の価値を問われる試練でもあるということだ。

2020年4月16日木曜日

今日の想い 1063

既にコロナウイルスで政治も経済も情報社会も大混乱だ。近代の人類歴史で積み上げてきたシステムはこの疫病の蔓延で一瞬にして崩れ去る可能性もある。ということは教会であってもそのシステムの恩恵に預かっているわけで、土台が崩れるのであれば同じように崩れ去る。食口がどれほど献金したくても経済が回らないのであれば総本山にも入ってこようはずがない。制度を変えるも何も、経済システムが破綻すれば献金から献品にならざるを得ないのだが、どう変えるのだろうか。世界経済はドル基軸で回っている。取引の決済にドルが必要だというのがドル基軸だが、ドル通貨国アメリカ自体は債務国であり様々な国に負債を負っている。とりわけ日本が米債券を多大に買い結果的にドル基軸を支えているが、リーマンショックで問題になったMBS(サブプライムローンを含む不動産ローンの証券)を買ったり、今回のコロナショックで問題になるはずのCLO(アメリカの会社債の証券)を買ったり、国債は勿論の事様々な債権を端から買ってアメリカを支え続けている。世界経済では息子(アメリカ)が立つために母(日本)が国家経済をかけて支えている。それは教会内で父(韓国)の本部を支える為に母(日本)の食口が先祖祝福や解怨という霊的証券や摂理商品を端から買って支えているのと構図が似ている。このコロナショックでアメリカは既に2.5兆ドルの財政支出を出しているが年内には倍になるだろうし、一息つくまでにはリーマンショック(4兆ドルの支出)をはるかに超える負債を抱えることになる。そしてその負債の多くを日本に肩代わりさせる(債権を買わせる)ことに当然なる。もし第二のプラザ合意でドル引き下げでもあれば売った債権(要するにアメリカの借金)は半分かチャラになる。今回の名称の変更が今までのお金の流れを変えるのか、コロナで出すお金もなくなると踏んで人的な流れを指示されるのか、様々な改革に食口達はどこまでついていけるのか。

2020年4月14日火曜日

今日の想い 1062

私達にとって本体論は既に見失った言葉だ。天の父母様の前に夜昼の神様も曖昧であり、神様王権即位式に向けての数々の宣言も曖昧だ。天の父母様という名称に違和感を覚えようが覚えまいが、本体論等々の理解どころか未だ神様すらはっきり捉えてはいないのだから「はい」と頷くしかないだろう。御父様がみ言葉で天の父母様という言葉をこのように使われたとか縷々述べられても、そんな説明を皆が求めているのだろうか。私は御母様が話された言葉の名詞の部分ではなく動詞の説明が欲しい。人類を抱くという抱くの意味は、同じように祝福を与え続けることなのかそれともウィルスや貧困から救うためなのか、それとも人類の新しい制度をつくることなのか。それぞれの国に根をおろすというその具体的な内容やどうなったら根をおろしたことになるのか。私の内面は疑問だらけだ。2020までの7か国復帰に対してどう見ても為されてはいないと私は思うのに、勝利されて天一国安着を宣言されている。復帰するというその意味が何であり、安着したと宣言されるその意味。私は全く批難しているのではなく単純に疑問だらけの問いの答えが欲しい。側近で仕えておられる先生方はどのように理解しておられるのかその説明が欲しい。理解もせず流しているのであれば、それはそれで御母様の指示なのだろうかとも詮索する私がいる。ここにきて何か突き放され、置いて行かれている感覚が拭えない。「天の父母様教団」と家庭連合はどう違うのか。家庭連合は横的な組織で天宙真の父母連合は縦的だと言われた御父様のみ言葉と関連があるのか。あまりにも説明不足だと思うのは私だけだろうか。

2020年4月13日月曜日

今日の想い 1061

新しい風が吹いている。新しい風は、霊界では愛を呼吸していると言われているように真の愛の風が、空気が、大気が今までの在り様に変わって地上に満たされるなら、それは実に心地よいものに違いないという誤解があった。しかし新しい風が後天時代の最初にもたらしたものはコロナウイルスの蔓延だった。このウィルスの蔓延は人類の全てのシステムを根底から覆す。御母様が語られるように、先天時代を通して積み上げてきたシステムはもはや役に立たず、全く新しいシステムを後天時代に生きる人類は必要としている。スクラップアンドビルドだ。多くの犠牲が出続けているが、犠牲をもって元通りの世界に復帰するのではなく、新しい世界を築く為の取り壊しと整地が進められている。生き辛い時代であればこそ人間は意志を差し出さざるを得ない。天一国世界へのハードランニングだからこそ生きることの意志を要求され、為に生きることの本質が問われるだろうし、そう生きる者が誰の目にも燦然と光り輝く。先天時代は献身し、摂理の為に身も心も差し出して生きても、一般人は目もくれなかった。享受の時代に楽しく可笑しく幸せに暮らせるのに、敢えて訳のわからない苦労の道を選ぶ教会食口への視線は冷たく変わり者にしか見られなかった。しかしこれからの時代は180度変わる。誤解を恐れずにいうなら、こういう時代だからこそ私達の時代だ。それは祝福を受けていればウイルスには罹らないというような飴玉をぶら下げた話ではなく、罹ろうが罹るまいが為に生きる意志を貫くということ。前にも記したように、こんな一過性の災禍で終わるはずはなく、何重にも災禍は襲ってくるはずだ。そうなってくると私達一人一人の真価が問われることになる。自分を犠牲にできるかどうかを問われる。そういう人間にしか人はついてこなくなるだろうし、そういう人間が経済にしろ政治にしろ、後天時代、すなわち天一国時代の新しいシステムを築き上げる先頭に立つ。

2020年4月9日木曜日

今日の想い 1060

はっきりしていることは、天上から地の底にたむろする人類に対して災禍を浴びせ、どう解決するかを見届けようとする神様ではないということ。あり得ないと分かっていながら、混乱の只中にいれば如何せん神様を見失い、天上から眺めておられるかの如くに、その神様のイメージに向かってお願いしてみたり談判してみたりして、御利益的な奇跡を望んでいる。自分も幼い信仰を持ち続けてきて、どれだけお願いし続けたかわからない。事実は神様御自身が私の中で悩まれ、苦悶され、それでも理解し解決する道を私を通して意志されている。この事実に目覚めたとき、私は私の中で働かれる神様を実感した。確かに全知全能の神様はその通りかもしれない。しかし解決への道を不断なく求め続ける、絶対諦めないという復帰への執念こそが全知全能たらしめていて、執念を含む心情が全知全能を支えている。霊的背景を見るなら地上の人類に働かれる神様は昼の神様であって、夜の神様に属する何柱かの神霊存在の役割を全て立てられるように収拾する過程にある。新時代に合わせて鉱物界を取り仕切る神霊存在、或いは植物界を取り仕切る神霊存在、更に動物界を取り仕切る神霊存在、また火水風土を取り仕切る神霊存在達をも説得し収拾する必要がある。御父様は基元節を迎える為に準備としてあらゆる神霊存在への御礼参りをしてこられた。大母様は霊界に尋ねて食口の先祖を探し説得されたが、御父様は高みに存在される数々の神霊存在を訪ねられた。それ故に「天宙真の父母連合」という復帰摂理最後の摂理機関を造られている。横的な家庭連合に対して、天宙真の父母連合は縦的な機関だ。要するに位階の底辺から高みにある霊的存在までを御父母様を中心軸として収拾しておられる。ウィルスは物体か生体かと問う時、即ち鉱物界のみに留まるのか植物界動物界にも組み入れるかの問答は、科学者達の間でも随分論議されてきた。結局は曖昧な存在のままだが、その曖昧な存在が、人が集合的に生活する社会状況では重要な局面で多大な影響を及ぼしている。人間の目には悪影響しか及ぼさない殺人ウイルスなのかもしれないが、この宇宙を新しい次元に移行させるための重要な役割を担っているかも知れない。私的な感覚ではワクチンや薬という鉱物界の原理を探る以上に、より位相を上げた火水風土、とりわけ風(空気、大気)に関わっていることを強く感じる。