2020年5月2日土曜日

今日の想い 1066

これが救いだ、これが赦しだと説明されても、確信と実感が伴わなければ言葉の鞘だけ受け取ったものの中味はない。けっして困窮した生活を助けてくれるとか病から救ってくれるとかの現実問題の救いという意味ではなく、さらに不安や恐れを解決してくれる救いという意味でもなく、敢えて言えば唯一絶対永遠不変の愛の存在感を得たい、取り返したいということだろうか。神様御自身が唯一絶対永遠不変の存在だ。その神様と私が何の関係性があり何で繫がれているかによって神様のそれらの属性を相続できるという。そういう観点に立ってその関係性(父子関係という関係)を示し、相続の可能性を差し出されたこと(神様の血統に接ぎ木されること)が再臨のメシヤである御父様の歴史的快挙だ。もちろん様々な問題を抱え何とか解決したいともがく私はその通りだが、存在の意味を知らされ神様との関係性を日毎に強くできること以外の問題は二の次の課題であり付録だと思って生きている。現実は人生の流れの中で抱え込んだり手放したりの連続だが、抱え込むことで、あるいは手放すことで神様との関係性をより深くできるならどちらにしろいい教材だということだろうか。実際は地上の問題にあたふたしながら天に文句を言いながら生きている訳だが、それでも既に切れることはない神様との親子関係にある地上を超えた私(夜の私、霊的私)が中心にあって、その私が人間として地上生活を送る私を運転している、あるいは見届けているという感覚だ。日本人である私は感情をあまり左右されたくない訳だが、地上を超えた私は韓国人のあの激しい喜怒哀楽を羨ましく見ていて、激しいだけに関係性はより強く深くなるはずで、その求める先にハナニムを見ている。周りの国にしてみればえらい迷惑な話だが、神様が関わらざるを得ないという意味でも自ずと心情をより相続できるはずだ。日本人とすれば正しいかどうかを先ず問うのだろうが、それよりは情が勝るのであり、信仰の在り様でも、教条的な日本信仰に対して情的な韓国信仰となる。長男の子女様は確かにハチャメチャな生活をしておられた。しかしどれほど堕落的生活であったと我々が見るとしても悔い改めて御父母様の前に帰ってこられたのであり、帰ってこられたことで良しとされ堕落しただとか失敗者だとかという話はされなかった。親子の関係性は教条的な問題を最終的には問わないほどに強いことを示された。自分の子供の救い、問題を起こした多くの二世達の救いもそこにあると、私は希望を未来につなぐことができた。

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