2020年5月20日水曜日

今日の想い 1069

神様が本当に求めたのはアダムではなく、自らの実体であるアダムを通して実はエバを求めた。主体であられる神様の本当に求めた対象はエバであった。アダムという実体化した神様がエバと一つになりたかったのであり、一つになった愛の対象実体として子女を得たかった。イエス様は神の一人子として地上に現れればそれで事足りたのではなく、第二のアダムであるイエス様を通して実は相対を探し婚姻することが目的だった。しかしイエス様は相対を得ることなく地上を去られた。よって御父様は再臨のイエス様として理想相対を探されたのであり、探し出された御母様は御父様の相対であると同時に神様の相対の位置に立たれるべきだった。実は「だった」と過去形にすべきかどうか今だに悩んでいる。御父様側に立つ事実は御母様は未だ神様の相対には立たれていない。御父母様の三度目であり最後の結婚式は2013年の基元節に予定され、その結婚式こそ神様の結婚式のはずだったが、しかし2012年に聖和されてしまい御父様からすれば神様の結婚式は棚上げ状態のままだ。しかし御母様側に立つと御母様は既に神様の結婚式が為されて神様の相対に立たれている。それが御父様がおられない基元節で挙行されたのか、或いは御父様が訓読会の場で御母様と4人の責任者に対して強く叱責されたように以前に既に御父様の許可なく挙行されたのか、その辺りをどう理解するのか。私達は一問一答できるほどに神様に近くもないし、霊的無知から脱してもいない。わからなければ言われるままを受け入れるしかないとも言えるが、そうだとしても御父様の言葉を受け入れるべきなのか御母様なのか。天の御父様(神様)から天の父母様に変わったのは明らかに神様が結婚された背景でしか出てこない言葉だし、御母様の権威の立てようは御本人が神様の夫人だと認識する威厳に溢れている。ここから先のことは我々の詮索のしようがない。どこに付きどのような立場を取るにしても、どちらにしろ神界の動きを見守るしかない。

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