2020年5月7日木曜日

今日の想い 1067

日本人は実に曖昧な民族だ。今回のコロナウィルス対応策を見るにつけつくづくそう思う。右か左かを明確に決断できずに成り行きに任せ、事態を眺めるだけで佇んだまま時を見過ごす。改憲議論でも決断して事が荒立ってしまうことより、何もせずに問題を先送りすることの方を選ぶから、いつまで経っても埒が明かない。黒船が来て開国したように、太平洋戦争に於いても、それまで決断できずに佇んだままどうにもこうにも道が塞がれてしまったので戦争に逃げただけのことだ。日本は決断したのではなく逃げた。決断できる意志がもともと備わっていれば戦争に突入することはなかった、と私は見ている。今回、武漢の実情がわかった時点で、何の措置もとらなければやがてどうなるかは見えていたはずだ。それにも関わらず成り行きに任せてしまう曖昧さを日本人は捨てられない。日本の教会とて同じことで、常にプッシュされて、すなわち外圧を受け続けて今の実情がある。それを絶対服従する意志だと納得させるのは先天時代までで、今は全体組織の恰好だけは残そうとするための言い訳でしかない。はたして教会サイドの外圧以上の外圧が我々に迫ってきたときに、組織の恰好を残せるかどうかだろう。このコロナ騒動で社会は大きく様変わりする。どれだけ過去に食べていたスイカを欲しがっても、先天時代には戻れないように、もはやコロナ以前には戻れない。この新しい時代に足を地につけて生き抜くには、生きる意味を明確にしてその意志を備える必要があり、意味を捉える意識を常に持つ必要があり、その私の意識は唯一絶対永遠不変の天に繋がっているという霊的柱が立っていなければ霊的に流される根無し草だ。祝福は天の本流に繋がって霊的柱を受け取る儀式であり蕩減棒や三日儀式は具体的秘儀だ。この混迷の時代、祝福の価値やみ言葉の価値はますますその光を増すはずだ。その認識を自己満足のみで捉えないように敢えて言うなら、御父様の言われる良心は胸のうちではなく丹田にある。丹田から発する意志の力が背後の良心と直結している。良心と意志と更に生殖器は三位一体でこそ天と直結して働く。どれひとつ曖昧であってはならないし、それぞれで暴走すべきではない。

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