2020年5月10日日曜日

今日の想い 1068

コロナコロナと騒いでいるうちに、景色は既に初夏の様相だ。山肌のあちこちに山桜の薄桃色だけは認められたものの、仰いで見渡す満開の桜にはついに出会えなかった。この部屋からは窓越しに山の輪郭を辿ることができるが、今日の青空のせいで、映える新緑がなだらかな輪郭の下部を生命力で溢れさせている。自然は誰見ずとも季節季節の装いに一生懸命で、コロナ自粛要請に日本中から人影が消えても、だから尚更強く、その美と生命力を天空に開いて差し出している。今の人類の息を潜めた緊張からすれば何とも皮肉なものだ。科学による西洋医学は鉱物界の力に頼ってきたが、鉱物以上植物以下のウィルスにさえ太刀打ちできないでいる。やがてはなのかそれとも遠い過去のことなのか、植物界の生命の力で空を飛ぶことも地に穴を掘ることも可能な世界では、生命の様々な不可解をいとも簡単に解くことができて、ウィルスのことについても鉱物の力ではなく植物生命の力で瞬時に解けるのかも知れない。論理と鉱物原理が結びついているように、感情と植物の生命原理が結びついていると仮定できれば、こんな話も絵空事だとは思わない。み言葉は実に複雑で、一つ一つの言葉の概念さえも自分が認識していた理解を先ず疑い、何通りもの仮定概念を想定し、何度も頁を遡ってめくりながら進めていかなければ、早々に行き詰ってしまう。上っ面をなどっただけでは何も得られない。み言葉の字面(じづら)に相対しても、み言葉の本質に相対するのは至難の業だ、み言葉と格闘し身悶えしてこそ本質は少しづつ少しづつ形を現す。そのためにはみ言葉に対する姿勢を先ず問われるだろう。謙虚でなければ相手にもされない。人類はコロナ問題を前にして己の無力さに落胆している。科学の発達をあれほど誇らしく掲げて胸を張っていたものの、軽く足をはらわれて立ち上がれない。人類は今の現実を前に先ず姿勢を改める必要がある。見えない背後に対する謙虚さを学ばなければならない。天と霊界に対する畏怖の念を取り戻さなければならない。鉱物界と植物界に頭を下げなければならない。

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