韓国政府どころか信じて疑わなかった御父様御自身が、反日主義の立場で、偽造されたあれこれをさも歴史的事実のように話しておられた。もちろん御母様もそうで真偽を問うてみる僅かの隙間も日本食口に差し出されることはない。しかしだからといって、手のひらを返すように、原理からみ言葉から、果ては献身して全てを委ねて歩んできた自らの人生全般までも否定するというのは違う。同じように、何を言われようとも御父母様の言われることが全て正しく、そう信じることが戴いた祝福も意味を成すしサタン圏から逃れて天の主管圏に留まることができる、というのも違う。どうして原理でなければ非原理、繋がってなければ離れた堕ちたというように、極論思考に陥るのだろうか。私達は御父母様と一つになるように教えられてきたし訓練されてきた。しかし信じて疑わない立場を数十年経った今も頑なに持ち続けることが本当に愛することであり一つになる道だろうか。それが正道だとして、それでは私達は一体何を御父母様から相続したのだろうか。相続した内容は頑なな信仰姿勢だけなのか、或いは私の内面に変化や異なる衝動が認められるなら、それは御父母様との関係を害する悪神の囁きであって無視すべきものなのか。食口達には安易に御母様御母様と唱えることで、御父母様に従いみ旨に従っている自分だと言い聞かせて自己満足的な歩みに留まらないでほしい。御父母様が涙ながらの歩みをされたのなら、たとえ御父母様とは相容れない意見を持ったとしても、それでも涙ながらの歩みをすることの方が、素晴らしい素晴らしいと言葉を重ね続け、拍手し続けるより余程心情に通じると私は思っている。御父母様が反日の立場をとられることで、確かに日本食口は苦労するのであり、反日が正しいか間違っているかは別として苦労する立場に日本を立たせている。苦労することそれ自体が恨を重ねることであり、それが天の心情に通じるなら、敢えて苦労させるという千尋の谷に突き落とすことで試練を与えておられる、とも取れる。地上と霊界が逆説で繫がっていることを思えば、表面的により嫌うことで内的霊的により愛されているという論理が成り立つ。これを叡智と取るか屁理屈と取るか、、。H1様を言葉と感情で徹底して否定されながら、愛の減少感と恨をバネに飛翔してみろという悲願を御父様の涙目の奥に見届けたのは私だけだろうか。
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