2022年2月5日土曜日

今日の想い 1133

シニア世代の食口であれば、万物復帰に明け暮れていた時期があったはずだ。 朝早くから夜遅くまで走り回らされた。一度任地に降ろされたら走ってでも家々を回らないと、歩みを止めてしまうと飛び込む決意が地に落ちてしまってエンジンは二度とかからない。昔は生花を抱え、それが造花に変わり、またいろんな商材を抱えて日本全国を走り回った。中でも造花は、バケツに溢れるほど詰めて両手に抱えると、あまりにも目立つが為に休憩を入れることもできず、恥も外聞もかなぐり捨てて、無くなるまで走り続けるしかなかった。この短くない時期の万物復帰のトラウマは未だに癒えることが無く、当時の塞ぎこんだ気分や、追い詰められた不安や恐怖が、当時の状況と共に悪夢となって何度も何度も夢見を襲う。ある意味、意識無意識の狭間に居座る地縛霊と化して魂を蝕んでいる。今の私は何としてでも当時の自分を救わなければならないという思いがある。今救っておかなければ、その切迫感情だけが繰り返し繰り返し霊の私を襲い続けるだろう。食口達の中に、この万物復帰のトラウマが少なからずあることを知っている。一時は水産摂理の一環として立てられたレストラン事業も、その多くがビジネスではなく万物復帰の延長であるかのように自ずと身を追い込んでいる。兎に角走り続けろという強迫観念で営業を続けている。本来ビジネスであるなら、マネージャーとして、或いはオーナーとして、全体を俯瞰し将来的道筋も模索しながら、業種業態であっても、人材の応募把握であっても、資金の使い方や教育報酬であっても、自分の責任と理想を掲げながら管理し投資するのが当然だろう。しかしそんなことは二の次でとにかく走る続けること、営業を止めないこと、手足を動かし続けることにのみ意識の大半を費やしてしまって、結局毎日の営業の何処かの歯車に収まることで良しとしている。その万物復帰感覚から抜け出さない限り私の救いはなく、奴隷という霊であの世に移動することになる。

0 件のコメント: