2022年2月5日土曜日

今日の想い 1132(公的私的)

 食口は公的私的という所有観念を歪に捉えたままここまで来ている。それ故に私的な面では成長、公的な面では発展という言葉は食口にとって縁遠いものだった。敢えて万物に対して公的なもの私的なものという線引きをしたものだから、公的なことに関して自分は関知すべきではないと思い込み、そこに責任感情を抱けなくなっている。今まで摂理として資金や人材をつぎ込んできたわけだが、その殆どは影も形もなくなっている。それに対してどこのどんな食口が悔しさを覚え責任を感じているだろうか。御父様御母様と涙ながらに祈祷を捧げながら、しかし瞼を開き顔を上げると、家庭円満の出来事やどうでもいい個人的幸せを見つけては、神様の恵みだと自己満足している、そんな報告ばかりだ。この程度の個人的あるいは家庭的満足の為に人生の全てをかけてきたのだろうか。こんなことの為に社会悪のレッテルを貼られながら数字だけを追いかけてきたのだろうか。ここまで精神が堕落したのはひとえに公的観念の欠如だ。教育されないまま、線引きされた私的所有にのみ関知が許されるという奴隷意識から抜けだせない。自由と責任は裏表であるように、どんな所有も公私の裏表がある。私的なものとして与えられたものは本当に私的側面だけだろうか。公的なものとして立てられた物事であっても、神様ではない誰かがタッチするはずだが、そこに私的感情が入り込む隙は今までなかったと言えるだろうか。また、どんなに私的に受け取ったものでも、どう使ってもいい訳はなく、使い方を誤ると負債を抱えてしまう。私の身体も、私の生殖器も、公的な所有観念がなければ瞬時に堕落するだろう。万物主管の範囲を広く大きくしようとすれば、それに合わせて自己の成長と主管能力を深くする必要がある。その為には自己への投資も必要になる。金もかけ良いものも食べて所有もしながら、万物と人材への認識を経験値を通して深めなければ、家計を遣り繰りすることに奔走するだけの貧乏人が、その意識のままで大きな事業を主管したり世界を主管することは実に乱暴な話だ。

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