2022年2月6日日曜日

今日の想い 1134

 食口の万物復帰思考はまさに共産主義の労働価値説そのままだ。労働に時間をかけるだけかけて実績を出すという、AI時代の進化から見れば古生代の思考のまま止まっている。共産主義を否定しながらも実際は労働価値説であって、愛を説き心情を説いているにもかかわらず活動や生活の現実に心情価値説は息衝いていない。共産政権が個人の異なる所有を否定し分配を基本とするように、献身時は所有している全てを捧げた上で共同生活が基本で個人の所有は否定されていた。共産社会が御菓子を等分する平等であるため、個人の欲望からの動機や発想が触発されにくいように、公的だとされる側に捧げることが善であり、その為地上の個人財産をほぼ否定するか否定されれば、共産社会と同じ停滞状況が蔓延してしまう。共産社会とさして変わらない教会社会の中にイーロンマスクも孫正義も育たない。ではどうすればいいのかという話だが、二世以降は全ての箍(たが)を外して個人欲を押さえつけるべきではない、というか彼等自身が箍を勝手に外すだろうし、ガラス天井を突き抜けるに任せるしかないだろう。一世が二世への言葉を持ち合わせないことに気付き、そこで初めて一世は、御言葉を教条的な側面からしか捉えていなかったことを理解するだろう。労働時間という概念は時間に主管される先ず空間ありき物質ありきの次元のことだが、発想は瞬時に起こり時間を超えた次元の出来事だ。デジタル社会もAI時代も、時間空間を超えた次元での発想が価値をもたらす。霊界を信じながらも唯物的思考と活動に留まるのは、結局神様とは別物を信じていることになるし、原理非原理と勝手に括り堕落圏だよそ者だとして許容しない。本当の万物復帰は、先ず御言葉の本質復帰と愛と心情復帰の上での事だろう。

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