地上の被造物が光りを反射して存在を現すためには太陽が不可欠であるように、万物の生命と息吹を与えて霊的に光り輝かせるためには主体が必要だ。それこそが万物の主管主だ。人類の歴史は、正しくみ旨の願い通りには主管主の位置に立ててはいない。科学は発達して如何にも快適生活のための環境主管が出来ているように見えるが、科学がどれほど発達しても、すなわち外的扱いがどれほど進化しても、内的霊的な態度と接し方を神霊に学ばなければ地上はモノの塊の展示場に過ぎない。鉱物は元素という体に閉じ込めていて生命の欠片もなく、植物は生命体としての認識だけは持っているものの知情意の魂に近づけることはないし、動物は情をそれなりに通わせ知能を刺激はしているが、かといって自我としての心情世界とは程遠い。被造物がそのヒエラルキーの枷を外すのは霊界であり、よって地上世界は人類の霊的成長と人間の主管内容によって被造物は異なる顔を見せる。堕落人間にとって被造世界は死んでいるのであり声を発することはないが、霊を備えている人間には生きて声を発する。そしてその声は霊的感性に届く。
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