信用創造は、借りて生産して増やして返してこそ創造されるのであって、それが中央銀行が何の担保もなしに紙幣の輪転機を回すことでも、銀行が借り入れ方を無理くり増やすことでもない。金融商品を挟んでもそれが生産活動に寄与しているなら意味があるが、金融商品の値上がりだけで膨らましても信用創造とはならない。今、銀行株価下落や破産の伝染が問題になっているが、銀行が証券会社化してしまい、実体経済の取引量が殆どであった過去の銀行とは随分趣が異なっている。金融経済に足を突っ込めば取引量は格段に増すけれども、金融商品は所詮アブク銭であり紙切れで実体がない。金融経済が景気上げする回り回る通貨の回転率を、次元を上げて増したのは事実で、金融悪鬼説に賛同するつもりは毛頭ないが、先にも言ったように飽くまで生産活動を後押しする副経済でなければならない。本当はリーマンショックの時に3兆ドルものドル通貨を銀行救済のためにつぎ込むべきではなかった。金融経済は実体経済よりバブル化しやすいので維持させるのではなくしっかりバブルを弾かせる必要があった。そして金融に大きく重心を移していった銀行は破産させたり統合させたりすべきだった。そうすることでドル通貨の価値が担保された。にも拘らず何の犠牲も払わせずに膨大な含み損を塩漬けさせ延命させたものだから、多くの銀行は活動する価値のないゾンビと化してしまった。大手銀も含めて殆どの銀行がゾンビだ。FRBの既に実質のない経済血液を輸血されて体に回している時点でゾンビだ。よく考えてほしいのは、働くなり投資するなりしてその通貨を増やせば増やすほど、ゾンビ化する血液で私という経済活動が成り立っているという砂上の楼閣でありバブルの春の霞だ。
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