2023年4月6日木曜日

今日の想い 1232 (三大祝福考察)

 男は女で試せ、女は金で試せ。というのはそれでこそ当人の本性が見えるという意味で的を得ている。一般的にお金を使いたがるのは女であり、その女を得たいがために男は稼ぐ。そういう言い方は極めて俗っぽいが、お金や万物に対してどういう観を持つかで女性は判断され、女性をどう見るかという観で男性は判断される。万物を只のモノ扱いするのは当然万物に対する無礼だと思うけれども、自我を備えた女性をモノであるかのように性の捌け口とするのはもっての外で、女性に対する冒涜であり神霊に対する背徳でもある。神の人類に対する三大祝福は、言い換えれば万物に対する尊厳、人間性も含めた性にたいする尊厳、そして神霊の体としての自己に対する尊厳を学ぶことに他ならないし、数多の神霊の統一体であり中心である唯一神が異なる一つの別個体ではないように、それぞれの祝福も別個で存在するのではなく、密接に関わり合っているし、三つの祝福が統一的であってこそ真の祝福に違いない。そして魂を持つ私という自我は三つの霊的側面を束ねる自我として神様のような位置にある。性に対するとき本能的なだけでは(勿論本能的な指向も重要)性への尊厳を謳い霊的神殿を建てることはできない。み言葉で学べば理解できるように、真の愛の結実としての性であれば、実を弄ぶ以前に自分の中に真の愛としての動機を深く深く尋ねてこそ真の性、すなわち絶対性となる。普通は表面的な違いがどこにあるのか見当たらないと言うように短絡的に判断しがちだが、叡智を標榜する霊的見地に立つ者にはその圧倒的な違いをそこに見る。食口が生涯を決められた伴侶で同じように一生を送るとしても、異なる異性に対して教条的な戒めの自分で対するのか、それとも異性に対する尊厳で己の行動を決めるのかでは雲泥の霊的差がそこにある。

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