2023年4月6日木曜日
今日の想い 1231
お金は誰もが欲しいのは事実だけれども、お金に対する認識は百人百様だということも理解する必要がある。認識が異なっているから儲け方も使い方も百人百様となる。しかし人によって認識が異なり意味合いが異なると言えるようになったのは過去の遠い昔からではなく、今世紀からであり特に後天時代に入ってからといえる。私達は献身時代にはお金からはしっかりと距離を置くように仕向けられていたけれども、全体摂理の段階的にみて万物以下の立場であって、とても主管できる位置にはないので遠ざけられていた。神様の人間に対する祝福の一つである万物主管を遠ざけられていた。しかし、好きなように儲け、好きなように使っているこの世の人達が、我々以上に主管する歓びを謳歌しているかどうかは一概にはいえない。お金や万物に対する認識は最近の流れで人によって随分異なってきたからだ。お金から遠ざけられていた私達がお金に溺れた人達に比べてより本質的主管を得ることは可能だしその現実性も高い。しかし遠ざけられてきたが故に、儲けるにも使うにも躊躇してしまい踏み込めずに貧者から抜け出せない者も少なからずいる。一世は万物主管から遠ざけられてきたけれども、一方で低い基準だけれども与えられて食うには困らないという保証もあって、この長い生活環境が自主性と自己決断を鈍らせている。この世は自由主義社会から社会保障の手厚い社会主義社会に向かっているけれども、私達は逆に社会主義意識から自己責任の自由主義意識に向かっていて、何とも面白い視点だと思う。世界はインフレの嵐の最中で、モノの値段がこれほどに上がってくると、そうそう変わるものではないと信じていた通貨価値が大きく損ねてしまい、お金に対する認識をより複雑にしている。いくらでも増刷できる紙幣で、限りのある万物を手にできてしまうという、人類の万物に対する冒涜への万物の反乱と捉えることもできる。
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