2023年7月20日木曜日

今日の想い 1246

もし摂理的願い(伝道)や経済的発展(献金)を本気で遣り遂げようとするなら、今までの延長では到底無理だと先ず認識する必要がある。今までの延長とは中心者絶対(アベルカイン)であり、教条主義(アダムエバ)であり、財物供与と蓄財(公金)だ。この世の発展はイエスマンによってではなく自らの信念のもと主体的能動的に活動する者によっているし、この世の成功者は自らの欲望を否定するのではなく上手に目的のための動機付けとすることで社会貢献してきたし、給与や蓄財に至っては低いところで限定されている団体に一体誰が熱意をもって頑張ろうと馳せ参じるだろうか。今の食口は去勢され飼い慣らされた家畜の集団に過ぎない。あまりに酷い言いようだが事実そうだ。搾取するものがなくなれば捨てられる運命にある。内的霊的なことではなく、地上の現実的なことを言っているのであってそこは誤解しないで欲しいが、今回の問題が表沙汰になったからといって現実的解決を教権指導部は打ち出してくれただろうか。否、現実的問題に対しては全く力を持っていない。日本政府に物申す一言だに発してはいないし、生活苦に喘いでいても何の援助もしないしもし賠償を言い渡されても一円たりとも出さないだろう。蛇のように賢くと言うけれども、政府や世論に対してもそうだが教会に対してもそうで、狡猾なまでに知恵を働かせなければ祝福家庭はジリ貧だ。教会の指導部だって過ちを侵す同じ人間が立っている。アボジが言われた天国に行く者ではなく天国を築く者になるとは、受動的位置に立たずに能動的位置に立つことであり、全て言われるままの受け身の家畜にならずに力を持ち養畜する立場でこそ天国を築ける。そして地上天国が築けたとして、そこは誰一人不倫も離婚もなく婚前交渉もなく一夫一婦制の世界だと本当に信じているのだろうか。食口はいい加減目を覚まして現実を直視すべきだ。現実と理想の狭間で生きてこそみ言葉の力も祝福の力もより認識できるはずで、そうして初めて理想に近づいていける。現実を無視して理想らしきものに囚われ浮ついていたからこのざまだ。今回を教訓にしてどれほどの食口が目を覚まし、摂理への主体的能動的関わりを持ち始め、生殖器と丹田に重心を置けるだろうか。生きる重心が下手な考えの頭にあったり、薄っぺらい感情の胸にあったりでは事は絶対に為せない。意識的開眼をした者は、丹田に思考も感情も落とし込み、意志を起こして行動に出る。

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