2025年5月8日木曜日

今日の想い 1378

 食口はSかMかと分けるならば、M, マゾヒスティックであって常に自分を痛めて喜びを得ようとする。おそらく性癖と食口の在り様を同等に並べるのは気分を害するだろう。受け身の信仰であり指示を受けての行動であり、今回の解散要求に対して自発的行動に出る食口は殆どいないことからみても、苦難も困難も天が与えた試練であって私が意志して行動した結果だとは全く思っていない。天が与えた試練として耐え忍び、アベルの指示がなければただただ黙する以外何らの思索も行動も自分の中に起こらない。そして受ける苦難をどう信仰で昇華して内的喜びに変えるか、、。それだけであればマゾヒスティックな在り様と変わらないと言われても、私は当然だと思う。確かにアボジは教会は苦労の百科事典だと言われたが、このマゾヒスティックな在り様を果たして苦労と思われるかどうか甚だ疑問だ。私はというと憤りを抑えられず、その感情は益々激しくなる。それは決定的な発言をしてしまった岸田元首相、あれほどに寄り添い応援してきた自民党議員や他党議員、反教会一辺倒のマスコミ、信仰の本質を全く理解せず新興宗教を毛嫌いする国民、そしてもっとも憤りを覚えるのはこの期に及んで何の反省も救国の訴えもない教会自体、更に人生を賭して摂理に奔走してきた自分自身にも憤りを持っている。私の人生は何だったのか。私の憤りですらこれほどであるのに、私と同じように憤りのやり場のない食口が増えていくなら、この日本国を壊滅させて余りあるものとなるだろう。それでも愛して許して、、と或る兄弟は言うけれども、そう言えるのは適当に歩んできたから言える言葉だとさえ思えてくる。そして、この憤りが私の体を蝕んでいく。

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