私達はこの世の人達と同じようにこの星に生まれ落ちた。神の意志なのか何らかの意志が働いて生まれ落ち、地球船に先導されて時の航海に繰り出している。時の大海原で霊が体現する様々な試練や祝福に出くわしながら、最終地点である霊界の入り口を目指して時を駆け抜けていく。船体であるこの身体もこの魂も、最終地点を予想できるまで航海すると長年の時の流れに相当傷んでいる。摂理的使命に奔走してきた私達は、この世の人達から比べれば更なる心身の痛みを重ねながらも、この期に及んで畳みかけるように鞭うたれる。統一の群れはボロボロになり、何の成果も得られない虚しさに包まれたまま地上を去らざるを得ないのだろうか。憤りと空虚感に苛まされ、本来なら伝道した多くの祝福家庭を両手に歓喜の声に迎えられて霊界の門を潜るはずが、カルトで反逆者の汚名を首からぶら下げられて死の門を潜る。この、どう表現していいのかわからない幸夢からの悪夢。善神からの悪神。天国からの地獄。こんな、言葉にもならないほど魂を締め付けられ息苦しさを覚えるのはいつの日以来だろうか。砂漠で死んでいく者に水に浸した布切れを口に含ますように、今慰めの一言でもかけられれば嗚咽するだろう。しかしこの世の人達は当然のこと、支え続けてきた本部教会からも、親として慕い続けてきた御父母様からも、慰めの言葉の一つですら下賜されることはない。日本の食口は棄てられたのだろうか。ボロボロの舟のまま霊界の門にも辿り着けず、悪霊の津波や荒波に翻弄されたまま死を待つしかないのだろうか。
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