2025年5月31日土曜日

今日の想い 1381

 表面的には何の変化もなく、毎日のルーティンワークをこなすことで時間を費やしている。若かりし頃の大波荒波に疲れ果て、感情の海の平安をもっとも願う老年期を生きている。心身を捧げ人生を捧げて摂理と呼ばれる公的生活に邁進してきたつもりだが、結果という果実をどこに見出したらいいのだろうか。清平にあるあの白亜の建築群だろうか。教会信仰を第一義として闘う僅かの二世達こそがその果実だろうか。妻は教会が取り上げられる毎に口にしている。み言葉は素晴らしいけど、、。当然のことみ言葉は私達が心魂注いで築き上げた果実ではない。一方的に与えられたに過ぎない。み言葉が沁みて私達の魂を駆り立てた。しかし理想は砂上の楼閣の如く崩れ、この手で掴もうとしたそのはしからボロボロと落ちて跡形もない。残ったのは私達に対する非難と行き場のない空虚な魂だけ。名ばかりの祝福家庭で天の威信は見て取れない。吐いて吐いて、搾り取ってでもさらに吐いて、残りの人生を歩む一歩だに踏み出せない、そこまで追い遣られてこその統一食口だ。壇上で神は私達と共にあると声高に叫び、さも天に選ばれた私達であるかのように耳に優しい希望的言葉を述べる者は、余裕が残っていて未だ吐ききってはいないだろう。死線を跨ぐか跨がないかの鬩ぎ合いの場でなければ復活の概念など到底理解できようもない。霊的な死を経験した者から復活の約事は為されていく。天国に行くことを夢見て終わるのではなく、率先して地獄に赴き、地獄を知る者が逆説的に天国を築くことができるだろう。笑うのではなく、かといって泣き一辺倒でもなく、笑いながら泣き泣きながら笑う、統一食口はそうあるべきだ。

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