2015年2月18日水曜日

今日の想い 834

全てを否定させられている。期待していたものがことごとく裏切られ、当然そうなるものだと思っていたものが一つとしてそうならない。それでも踏ん張って明日へと希望を立て直そうとするけれども、そのわずかな意志でさえも待ち構えていたかのように一撃で打ち砕く。全てを否定され、全てを打ち砕かれ、息も絶え絶えになり生きて息しているのが不思議に思えるほどだ。そう、私達夫婦は地獄の現実のど真ん中に生きている。肉体的には何とか生きているけれども、霊的生命は消えかかっている。ああそうだった。この感情の味わいこそが霊的死の味だった。霊的死を現実世界に味わいながら霊的生命としての息をつける隙間を探している。諦めながらも探している。この果てなしと思われる地獄にも霊的生命の息吹きをつける岩場が必ずどこかあるはずだと、、。その岩場を本当に探し当てたとき、私は本当の意味で救い主に出会ったことになるはずだ。御父様が救世主であることは疑いようのない事実だとしても、私は本当の意味で御父様に出会ってはいない。地上の現実として御父様に出会えたことは霊的生命にとっては象徴的な出会いでしかなくて、今まさに地獄の中で彷徨いながら、そうして霊的生命の息を吹き返す岩場を探し当てたときこそ、本当の意味で救い主としての御父様に出会うことになる。この石をパンに変えてみろと悪魔サタンはイエス様を試したけれども、この苦痛の一つ一つをひとつ残らず恨みに変えてみろと悪魔が私に囁いている。囁くどころか巧妙にも挑発してくる。足を払われる毎に、それでも信仰を立て直そうと踏ん張れば、途端にまた足を払う霊的存在がいる。妻はあまりにも次々と起こる肉体への仕打ちに対して、何が何なのかわからないと放心状態にさえなっている。決意して乗り越えようとすればその端から砕かれる。今の彼女はサタンも見ようとはしないし神様へ顔を向けようともしない。彼女にとっては試練ではなく、それがサタンの為す業であれ神の為す業であれ痛みつけるだけの仕打ちでしかない。彼女にとっての見捨てられた孤独な感情や肉体の苦痛も、私にとってのやりきれない感情や心魂の苦痛も、今ではいとも簡単に恨みに変えることができる。恨みの数々で肉体の輪郭も魂の輪郭も、破れて破裂するほどにパンパンになった時、私は完全に悪魔の血統であるとサタンへの証を立てることになる。確かに私と妻、そして私達夫婦は選ばれた存在だ。決してこの世的福を受けるために選ばれた存在ではない。サタンなのか神なのか、この夫婦を試験台にする意味で選ばれた存在だ。破裂しそうなほど膨れ上がった妻の足が車いすから垂れている。その中に詰まっているのは数多の恨みだろうか。恨みがゾウの足や風船の顔に吹き溜まりとなって渦巻いているのだろうか。私もわからなければ彼女もわからない。わからなければただ時が流れるのに任せて流れるしかない。

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