2015年12月2日水曜日

今日の想い 896

私が相対以外の女性に対するときはすべからく天使長の立場にあると思ったほうがいい。誘惑は天使長が仕掛けたのかも知れないが、エバは誘惑にのる様子を覗わせて天使長を誘惑している。私が天使長の立場に立つときエバは五万といる。路上ですれ違う女性は別としても、私という存在を男性として認識している女性は皆エバの立場だ。この世の男性は堕落も堕落の経路も知らず、よって妻以外の女性に対しては善の天使長よりも堕落する悪の天使長としての霊を迎え入れやすい。自ずと誘惑モードへの意志で女性に対し、女性は男性に対してしまう。抜き差しならぬ関係に発展すれば地獄を味わうであろう身の破滅に陥ることは承知しながら、それでも自分を主管できずに破滅への道を辿り始める。霊的無知による愚かさがそこにある。プラスとマイナスが正しく作用すれば善果を得るが、自己中心的動機で作用させれば悪果を得る。男性と女性との関係で全てが男女関係(横的関係)に至るわけではないが、神様を無視した天使長とエバの霊的事実が自分と相手を舞台に再現される可能性をどうしても関係上含んでいる。堕落してしまったエバに生じたのはそれまで想像だにしなかった悔いと負債による心の占拠だ。それはアダムに対するものもあるが、エバが自分という存在を存在たらしめている良神(心)への負債だ。エバは自分の良心を痛めることの堪え難い自分であることをその時思い知る。良心があってこその自分だと思い知る。エバも関係を結んで初めて自らの良心への目が開いてしまった。エバの本来関係を結ぶべきはアダムであったという良心の叫びを魂の痛みとして覚えた。エバにしてみれば自分という存在を否定されないためにアダムを誘惑せざるを得なかったのかもしれない。私が相対以外の女性に対するとき、自分の中に縦的関係を立てようとしているのか横的関係を結ぼうとしているのかを瞬時瞬時に察知しなければならない。前者は善の天使長として振る舞い、後者は悪の堕落の天使長を迎え入れようとしている。刻々と変わる状況の中で私の中に入り込む霊と出て行ってしまう霊の動きを見定めなければ、知らないうちに悪霊に主管されていって後戻りできない状態になってしまう。妹(娘)から妻、妻から母への位相転換(次元上昇)は、親なる神様認知のもとに女性の愛の門を開いて迎え入れると妻になり、女性の愛の門を開いて己の分身を放つことで母になる。兄(息子)から夫、夫から父への位相転換は愛の門を入ることで夫になり、夫婦一体としての妻から己の分身を放つことで父になる。妻の愛の門は縦的認知を受けることで霊的位相を高めていく門であるけれども、妻以外の門を通過しようものなら一度の使用間違いで落ちるところまで落ちていく。だからこそその器官は霊的問題に直結する恐ろしい愛の器官だと悟るべきだ。正しく垂直的に上っていく位相から横道に逸れてしまえば霊的に彷徨い始め、神の愛、真の愛という光を失ってしまう。光の無い地上生活が成り立たないように(目視を失うに留まらない)、神の愛の無い霊的生活は成り立たない。横的愛は感覚の喜びと直結しているのでなびきやすいが、縦的愛あっての横的愛だという事実を間違いを犯すことで悟るという愚かさは、霊的無知故のものだ。

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