2018年11月29日木曜日

裁かれる

私は霊的捕虜として捕らえられている。それは例えれば心臓収縮による痙攣によって息詰まるというような、そんな重すぎる告白を浴びせられることから始まった。私の魂の中には解決策どころか、どうしてそんな事態が起こりうるのか僅かの発想すらもなかった。血流が止まって思考が全く働かなかったし、今思い出そうとしても吐き気を帯びる緊張感で息苦しくなるだけだ。この小さな私の魂に、これほどの重い十字架を何処のどんな存在が運び込んだのだろう。しかし前に座って何の悪びれる様子もなく、笑顔で溢れるその表情は幼子そのもので、それが更に背負わせた十字架を重くした。日頃は見ないその笑顔が悲しくて悲しくて苦しかった。幼子をまんまと餌食にしておきながら、背後にいる悪魔は私と目を合わせるでもなくその場を見守ったままだった。その場にいる間、そして今でも、私はというと激しく金縛りにかかったままだ。魂は縛り付けられて息をしているのが不思議なくらいだ。あくる日になって、喘ぎながらもやっと涙がほんの少し流れてくれた。本当は滝のような涙を流したい。親としての涙。み言葉を渡せなかった涙。そして恨みの想いも涙となって溢れて欲しい。どうして先祖は守ってくれなかったのか。神様はどうして悪魔の行動を許したのか。ここまでの事態になっていたことにどうして自分は気付けなかったのか。一瞬にして地獄の底へ突き落された。這い上がる気力は全くなかった。そして私は心を閉ざし、時間の経つ秒針の音だけを追いかけている。今は何も考えたくない。できればこのまま消え入りたい。

2018年11月24日土曜日

今日の想い 1023

イエス様が十字架に処せられず、3年を超えて生きて摂理を進めて行かれたならどうなっただろうか。原理はイエス様が結婚されるべきだった、そして真の家庭を築かれるべきだったという立場だが、もしそうなったとしても私達が思い描くような地上天国がすぐにでも築かれるというようなことは先ずないだろう。家庭を持たれても紆余曲折あったと考える方が普通だ。御父母様が家庭問題で紆余曲折あるのと同じように様々な問題が起こったはずだ。私達、特に日本人の習性として結果を急ぐあまりに遅々として進まない現状を悲観しがちだけれども、少しでも一歩でもより神側に近づくならそれを善しとすることを学ぶべきだ。目標を掲げることのマイナス点は、目標に近づいたとしても目標を達成しなければ目標の値は裁きの値、善悪の分岐点として使われてしまうということだ。目標を掲げることで目標に近付けたという善を否定している。先祖解怨の代数や氏族復帰目標も達成数を前後して一方は天国で一方は地獄だ。御母様についても完全否定するサンクチュアリもおかしいが、何から何まで完全肯定する家庭連合も考えものだ。キリスト教が全世界に広まったのはパウロの影響が大きいというのは誰も否定しないだろう。御父様はパウロ神学の悪なる影響について話されたこともあるが、しかしパウロを全面否定された訳ではない。にも拘わらず内輪でパウロは評判が悪い。本来パウロの功績は功績で褒め称えるべきなのにそうなっていない。自分自身も含めて、御父様が苦情を口にされれば枝葉も含めて全面否定してしまうという、実に単細胞な我々だからこそ進めることができた摂理分野もあるが、逆に汚点を残した分野もそれ以上にあって大いに先天時代の歩みを総評して反省すべきだ。キリスト教を世界に展開する上での多くの知恵がパウロを中心として与えられたように、天宙復帰の知恵は霊的血統を相続する第4次アダムとしての私達に授けられる以外なく、様々な霊的知恵が器を用意する者達に与えられる。D-DAYとして一大神霊復興のハリケーンを起こすべく立ち上がる聖徒は何処に用意されているだろうか。

2018年11月19日月曜日

今日の想い 1022

ナッソーコロシアムで御母様の大会が行われた。先回のマジソンの大会もそうだったが、兄弟をかき集めて席を埋めるのではなく、繋がっている牧師達が率先して動員をかけ大会を成功させるという、理想的な形に近づいてきた。三分の二は外からの動員だという話も聞くが、おそらく半々くらいだろうか。しかしそれにしても随分様変わりしてきた。独生女と神の一人娘とは同じ意味だが、英語ではひとつの言葉のみであって、それを逆翻訳すると神の一人娘ということになる。御父様をイエス様の再臨と信じれば当然神の一人子であって、そうなると御母様が神の一人娘というのも当然の事として受け止められる。おそらく牧師やクリスチャン達への説明に、御父様は原罪ありで御母様は原罪なしというような疑念を抱かせかねない説明などないだろうし、御父母様を元々受け入れたのだから御父様が聖和された今御母様に侍って当然だということだろう。御子女様が分派として立っておられることなども我々と違ってさして意に介さないらしい。原理の論理性から発して御父様のみ言葉へと論理を組み立ててきたその土台の上で御母様の言葉をあれこれ判断する信仰観と異なり、ハレルヤ感情、特に黒人教会はその感情を高めて受け取るものを第一とする信仰観だから御母様に向かうのにハードルはないのだろう。その違いが大会の半分近くの席を埋める6000人を超える聖歌隊に象徴されている。実体み言であられる御父様は長いみ言葉を語られたけれども、御母様は壇上に立たれて、易しい言葉だがしかし簡潔明瞭に、柔らかいがしかし力強く、御父様とは全く異なる聖霊実体の権威をもって聴衆に諭(さと)される。アメリカは御母様のこの頭を使わず感覚的な胸で受け取る短い登壇を歓迎するはずだ。勿論参加しているのは黒人教会やクリスチャンのみならず多くの宗教宗派に及ぶとしても、彼等も同じ場に居て同じ霊的興奮を味わったはずだ。ACLCの活動がこのように実っていることは御母様も喜ばれたし、御父様も勿論喜んでおられるはずだ。私としてはとにかく、御母様の顔がほころび、笑みを伺えたことが何よりも嬉しい。

2018年11月12日月曜日

今日の想い 1021(心情を見るのであり、心情を相続する)

聖書を読めば美化されたイエス像だけが浮かび上がるが、彼が生きたその生き様は実に破天荒なものだったはずだ。普通の善人で十字架刑という極刑を強いられるとはどうも思えない。またマグダラのマリアとの女性関係もあったと思っている。そうでなければ当時夫かそれに準ずる関係にあったユダが、マグダラのマリアとイエス様との関係でもなければ銀貨で裏切るほどにまで悪化した事実の説明がつかない。ユダは財務管理を一任されるほどにイエス様がもっとも信頼する一番弟子だった。私がいろんな聖書の事実からイメージされるイエス様はまさに破天荒そのものだ。御父様についてもそれは言える。6マリアの事実もさることながらカインの御母様金先生とのこともあるし、日本を初期開拓され誰よりも御父様を慕っておられた西川先生が離れられ、一番弟子であれほどにみ言葉に精通しておられた郭先生も離反され、そこにはそれなりの理由があって当然だし、漏れ聞く様々な事実から御父様の理解を超える行動はイエス様を超えている。蘭淑さんの本も読んでみたがあれが事実ならあの家庭に留まり続ける人間は狂うしかないだろう。人類は堕落の血統であることは間違いないが、人類が完全悪の立場ではなく神もサタンも同居し得るという矛盾した立場であって、築き上げた文明も社会の中にも善としての状況もあるし悪としての状況もある。イエス様や御父様が破天荒であるのは、矛盾した人類を善の存在として根本から産み変えようという天の願い、使命があるから、そうなると社会通念上の善を否定する行動に立たれることもあった。要するに社会通念である道徳規範を否定する立場に立たれる場合もある、と見る。それは普通の人間としての神経を超えていて宇宙人と呼ぶに足る。しかしそこまでされてまで私達に相続させたものがある。もし私達が天の心情を相続できないとなれば、御父母様はあらゆる批難中傷の槍で突かれ矢で射止められるだけの足蹴存在でしかないだろう。私達が伝道できるとすれば相続された心情を燃え立たせるしかない。電信柱を抱いて涙され、パジュがずぶ濡れになるまで涙され、かつては地上を闊歩し大気に留まってた霊達の衣である水分を、洪水の雨で削ぎ落として霊界に送り閉じ込めたように、このD-DAYは御父様が流された同じ涙を全食口が洪水の雨のように地上に流しながら、逆に霊達、とりわけ神霊達を涙の衣で地上に迎える。心情を燃え立たせるのは流す涙で神霊を迎えるしかない。統一教会は苦労の百科事典と言われたけれども、涙の群れでこそ第4次アダム心情圏に立つのであり、全世界全天宙を改革し得る霊的覇者になる。

2018年11月8日木曜日

今日の想い 1020

万物主管を抽象的な概念に留めたままでいるから、いつまでたっても具体的な万物主管には至らない。すなわち富として掴むことができない。食口は価値の実体であり代表であるところのお金への認識が不足していることに気付かない。摂理的献金として捧げているつもりでいるが、お金の立場からすれば愛されないままに追いやられたと思っている。愛する自分の子を捧げたイサク献祭とまでは言わないが、痛みを伴うまでの献金姿勢であってこそ献金は活きる。自分のところに留めておくのは罪だという負債感や恐れから献金するのと、大切に想う我が子に似た感情を抱いていたものを捧げる献金とはその内的霊的意味合いが全く違ってくる。食口の献金意識の根底には金持ちは自己中心であって身軽で清貧でこそ天国に行けると思っているし、自分は何もわからないから結局は上からおりる指示に当面従う以外ないと思っている。そこにはお金に対する主管者としての想いはない。主人意識という言葉がある。先代の会社を二代目として引き受ける場合、オーナーシップを形だけ得ても本当のオーナーシップを発揮できる為には試練を超え従業員や関係者の信認を得なければならず、その過程で主人意識は養われていく。相続した資産や宝くじの当たり金、ギャンブルで得たお金に羽がついているのは、そこには主管者としての主人意識の無さが原因にある。その資産やお金には自分の想いは入っていないから繋ぎ止められない。主人意識が立つためには根を張らせ枝を分かち、実を実らすための養分を得て与えて育てるために何が必要かを知って認識できてこそ主人意識は立つ。だから同じお金であっても誰が主管し出所がどこかでその意味合いはそれぞれに違っている。そのお金の色合いが霊的に見えるようになってこそ万物主管主としての役目は果たされるだろう。日本は1200兆円を超す借金があり、アメリカは40兆ドルを超す借金がある二大借金大国だ。国の借金の意味合いは貨幣価値に水を投入し価値を薄めている。色合いはどんどん薄くなり透明化してきている。そう遠くない或る時点で価値破壊の臨界線を超えて円とドルの値は一気に下げる。国家経済破綻が近づいている。

2018年11月2日金曜日

今日の想い 1019

地上天国としてどう国家の枠をはずし世界の平準化を図っていくのか。アメリカファーストのトランプの政策は、誰が見ても国家の枠組みをより強く引きこそすれ、外す方向には向かないだろう。御父様の本来のアメリカに対する願いは、ブッシュ親子から弟ブッシュに引き継いで、民主国家アメリカによる世界制覇によって結果的に枠組みを外すというものだった。、、と私は信じている。弟ブッシュに直接告げたかったし、その受け取った条件によって弟ブッシュは大統領選の勝利を手にできた。ワシントンタイムズ設立記念大会だったと思うが、弟ブッシュが来るということでホテルのキッチンの周りもそわそわしていた。その当時大会があれば必ず御食事の要請があって、その日もスイートルームのキッチンで日本食の準備をしていた。担当のサモニムが弟ブッシュが来る話を興奮気味に周りにしていたのを思い出す。しかし結果弟ブッシュは来なかった。その時の御父様の落胆は後で耳にすることになるのだが、当時語られたみ言葉にもその内容は記されている。それ以降、御父様は避けられないアメリカの衰退を口にされるようになった。現政権のトランプがどれ程アメリカ優先政策で力を発揮しようとも、摂理の潮流のベクトルは直接アメリカを向いてはいない。アメリカの強さは軍事にあり、軍事で世界の紛争地域に権力を行使してきたけれども、しかし軍事で本当に守ろうとしたものが何だったかというと、ドル基軸だ。イラクを叩いた本音はフセインが原油をドル決済ではなくユーロ決済にしようとしたからだ。アメリカの軍の派遣の背後には必ずドル基軸死守の思惑が働いている。しかしアメリカによる第一摂理は既に失敗したので大統領に誰が立とうともアメリカはその覇権を次第に弱めていくはずだ。トランプはアメリカファーストだけれども、案の定その政策はことごとくドル基軸を否定させる方向に向かわせている。トランプがどれだけ中国に対して貿易赤字解消を目論むにしても、結果的には自分の首を絞めることになる。中国は黒字分で外貨準備としてドルを買っていたのだし、アメリカ国債の購入も日本をはるかに超えている。それを売り始めるとドルは一気に下げていくだろう。ドルが下がるとアメリカは輸出しやすいが、しかし今のアメリカには中国のような輸出商品はない。売るものがないのに貿易云々をいうトランプは本当に経済がわかっているのだろうかと思う。そんなトランプを尻目に中国とロシアはますます台頭してくるだろう。そういう訳で国家の枠組みを外し世界の平準化を図っていくのは、ドル基軸に代わる世界に通用する通貨ということになる。それが何かと言うと、敢えてここでは伏せておくことにする。これは考えるべきだし、受け売りで価値の本質は受け取れない。