2018年11月19日月曜日

今日の想い 1022

ナッソーコロシアムで御母様の大会が行われた。先回のマジソンの大会もそうだったが、兄弟をかき集めて席を埋めるのではなく、繋がっている牧師達が率先して動員をかけ大会を成功させるという、理想的な形に近づいてきた。三分の二は外からの動員だという話も聞くが、おそらく半々くらいだろうか。しかしそれにしても随分様変わりしてきた。独生女と神の一人娘とは同じ意味だが、英語ではひとつの言葉のみであって、それを逆翻訳すると神の一人娘ということになる。御父様をイエス様の再臨と信じれば当然神の一人子であって、そうなると御母様が神の一人娘というのも当然の事として受け止められる。おそらく牧師やクリスチャン達への説明に、御父様は原罪ありで御母様は原罪なしというような疑念を抱かせかねない説明などないだろうし、御父母様を元々受け入れたのだから御父様が聖和された今御母様に侍って当然だということだろう。御子女様が分派として立っておられることなども我々と違ってさして意に介さないらしい。原理の論理性から発して御父様のみ言葉へと論理を組み立ててきたその土台の上で御母様の言葉をあれこれ判断する信仰観と異なり、ハレルヤ感情、特に黒人教会はその感情を高めて受け取るものを第一とする信仰観だから御母様に向かうのにハードルはないのだろう。その違いが大会の半分近くの席を埋める6000人を超える聖歌隊に象徴されている。実体み言であられる御父様は長いみ言葉を語られたけれども、御母様は壇上に立たれて、易しい言葉だがしかし簡潔明瞭に、柔らかいがしかし力強く、御父様とは全く異なる聖霊実体の権威をもって聴衆に諭(さと)される。アメリカは御母様のこの頭を使わず感覚的な胸で受け取る短い登壇を歓迎するはずだ。勿論参加しているのは黒人教会やクリスチャンのみならず多くの宗教宗派に及ぶとしても、彼等も同じ場に居て同じ霊的興奮を味わったはずだ。ACLCの活動がこのように実っていることは御母様も喜ばれたし、御父様も勿論喜んでおられるはずだ。私としてはとにかく、御母様の顔がほころび、笑みを伺えたことが何よりも嬉しい。

0 件のコメント: