2018年11月12日月曜日

今日の想い 1021(心情を見るのであり、心情を相続する)

聖書を読めば美化されたイエス像だけが浮かび上がるが、彼が生きたその生き様は実に破天荒なものだったはずだ。普通の善人で十字架刑という極刑を強いられるとはどうも思えない。またマグダラのマリアとの女性関係もあったと思っている。そうでなければ当時夫かそれに準ずる関係にあったユダが、マグダラのマリアとイエス様との関係でもなければ銀貨で裏切るほどにまで悪化した事実の説明がつかない。ユダは財務管理を一任されるほどにイエス様がもっとも信頼する一番弟子だった。私がいろんな聖書の事実からイメージされるイエス様はまさに破天荒そのものだ。御父様についてもそれは言える。6マリアの事実もさることながらカインの御母様金先生とのこともあるし、日本を初期開拓され誰よりも御父様を慕っておられた西川先生が離れられ、一番弟子であれほどにみ言葉に精通しておられた郭先生も離反され、そこにはそれなりの理由があって当然だし、漏れ聞く様々な事実から御父様の理解を超える行動はイエス様を超えている。蘭淑さんの本も読んでみたがあれが事実ならあの家庭に留まり続ける人間は狂うしかないだろう。人類は堕落の血統であることは間違いないが、人類が完全悪の立場ではなく神もサタンも同居し得るという矛盾した立場であって、築き上げた文明も社会の中にも善としての状況もあるし悪としての状況もある。イエス様や御父様が破天荒であるのは、矛盾した人類を善の存在として根本から産み変えようという天の願い、使命があるから、そうなると社会通念上の善を否定する行動に立たれることもあった。要するに社会通念である道徳規範を否定する立場に立たれる場合もある、と見る。それは普通の人間としての神経を超えていて宇宙人と呼ぶに足る。しかしそこまでされてまで私達に相続させたものがある。もし私達が天の心情を相続できないとなれば、御父母様はあらゆる批難中傷の槍で突かれ矢で射止められるだけの足蹴存在でしかないだろう。私達が伝道できるとすれば相続された心情を燃え立たせるしかない。電信柱を抱いて涙され、パジュがずぶ濡れになるまで涙され、かつては地上を闊歩し大気に留まってた霊達の衣である水分を、洪水の雨で削ぎ落として霊界に送り閉じ込めたように、このD-DAYは御父様が流された同じ涙を全食口が洪水の雨のように地上に流しながら、逆に霊達、とりわけ神霊達を涙の衣で地上に迎える。心情を燃え立たせるのは流す涙で神霊を迎えるしかない。統一教会は苦労の百科事典と言われたけれども、涙の群れでこそ第4次アダム心情圏に立つのであり、全世界全天宙を改革し得る霊的覇者になる。

0 件のコメント: