2018年12月11日火曜日

今日の想い 1026

私のように悩んで悩んで悩みぬいて生きる者もいれば、見ようによってはそんな単純な思考で割り切って生きていけるのかと思えるような者もいる。教会の食口は誰もが悩みぬいて来た同じ者達なのかと思いきや、食口の中にも単純で軽快な者達が意外と多いことが伺える。特にここ数年の混沌期にあっても、御父様御父様と口にしていたのにいとも簡単に御母様御母様と言えるほど割り切っている。そういう者達は概してポジティブであり、結果や現状に悲観もしなければどんな目標を与えられても喜々として前向きに捉える。そうしてそういう者達が先頭に立ってきたが、さして今まで結果が実った訳でもない。さらに結果が出ないことに対して責任を感じている様子もない。私のような人種からすれば遊び感覚のまま生きてきて子供がそのまま大人になったように思える。この違いがどこから来るのかと長年思っていたが、要するに霊的背景が異なっているのであり、私のような人種と敢えて言ったが人種が異なっていると言っても過言ではない。私のような人種は過去生が何度にも及ぶ古老の魂存在だが、単純な彼等は過去生が数度にしかならない若輩の魂存在だということがわかった。前者がカインの魂であり後者がアベルの魂だ。カイン魂はアベル魂を冷ややかな目で見ているものだが、そして案の定辛酸を舐めていないアベル魂は地上の実を収穫するには至らないが、しかしそれでもアベル魂を突き放すのではなく丁寧に教えてあげてしっかりと地上の実を収穫できるほどにしてあげてこそカイン魂は天が主管することができる。ブログ村で批判論評を繰り広げているのはカイン魂であり、御母様を持ち上げポジティブな言動に終始し、そのうち奇跡でも起こると信じて喜々としているのがアベル魂だ。しかしこれは魂の領域の話であって、神霊が共にあるかどうかは魂を超えた霊の領域であって、神霊という父を中心としなければカイン魂とアベル魂は一つにはなれない。地上の摂理は御母様が担われて当然だが、単純なアベル魂が御母様を支えていればそれでいいという話ではなく、御母様が本来の御母様として立てるようにカイン魂の立場でどのように行動するかにかかっている。ここにおいて父子共助という言葉が意味を為す。神霊(父)に沿わなければ只の御母様批判、家庭連合批判で終わってしまうからだ。

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