2018年12月22日土曜日

今日の想い 1028 (高次の事情と人間の事情 その2)

アダムとエバに陽と陰を分けなければ堕落はあり得なかった。愛の問題、というより愛の実である性の問題は神が創造された人の問題ではなく、主なる神が地上の土のちりで造られたアダムとエバの問題だ。原型は神の創造された人こそが原型で堕落とは関係がなく、イエス様はその原型を宿した肉体として地上生を歩まれた。御父様の勝利、御父母様の勝利圏は天の心情を相続され、その原型を宿すに至ったが故の勝利圏だ。御母様にしてみれば、超えてみればすべて愛であったとまでは現段階では言えないだろう。真の母として勝利されたと御父様に言わしめるまで、どれ程の困難があったか。その抵抗勢力の殆どは御父様の存在そのものに違いない。そしてそれが逆説的に御母様を真の母として勝利させた。最大の抵抗勢力が霊的には最高の位相に直行させる。絵に描いたような理想主義しか受け付けない現代社会であり、私達ですら真の父母や真の家庭への理想的イメージを掲げてきて、それとのあまりの違いに言葉も出ないが、そういう私達も理想家庭の幸福のイメージとは程遠い辟易する事情に翻弄され息もつけないほどだ。御父母様の祝福圏にある私達は、理想家庭のイメージからは想像もできないほどのありとあらゆる十字架を背負い、霊界に旅立って初めて、過ぎてみれば全て愛であったと口にする。霊界と地上界は裏と表であって、地上で病に侵されその不幸に立ち向かった分、霊界では健康体になる。健康への有難さが霊的健康体の力となる。地上で困難が多ければ多いほどそれに立ち向かう意志を強くせざるを得ないのであり、その意志こそが霊界に於ける霊的安寧の力となる。生きるとは愛する戦い以外の何物でもない。その愛が本物かどうかをありとあらゆる角度から試される。神に対して恨みの一言も言ったことがないという人間を私は信じない。神を恨むほどの困難に見舞われていないだけのことだ。私達は生涯、そして二世三世までも、苦労の百科事典であり続け、恨から始まるありとあらゆる涙を流し続ける。そうしながら私達の愛が鍛えられる。御母様は壇上に立たれて話されるときには涙が絶えなかった。涙で始まり涙で終えられた。その御母様は今、涙を封印された。敢えて神の権威を立てられながら私達が御母様に代わって地の涙の存在となることを選ばれた。私達はあらゆる涙を流し、恨みやもろもろの全てを愛に昇華させ、それでこそ全ては愛であったと言える成約勇士として正しく昇華できる。

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