2019年3月2日土曜日

マンハッタンとアランウォーカー

マンハッタンはアランウォーカーの曲がよく似合う。メロウな旋律を奏でる電子音は摩天楼の無機質なこの町をよく表している。そしてこの町の夥しい住人達の表情はその旋律そのものだ。笑うにも微笑むにしても陰りと悲しさが根底にある。久しぶりにマンハッタンを訪ねた。迷い込んだと言ったほうがいいかも知れない。これほど碁盤の目になっている町は他になく道も方角も間違いようがないと思われるが、しかし何度この町を訪ねても迷い込む。碁盤の目の秩序立った上にありとあらゆるカオスが息衝いているからだ。ニュージャージーからリンカーントンネルへと螺旋道路を降りていくと、地底の異次元空間へと錐もみしながら落ちていく。そうして異次元への産道でありトンネルを超えるとマンハッタンの谷間の底に出る。昼のさ中なのに暗い、というか異なる似非太陽が異なる波長の光を落としているようだ。何度来ても落ち着かないし好きにはなれないこの町だが、それでも町の情景を流しながらハンドルを握っていると、この曲のメロディが情景に重なって漏れてきた。それでこの町の在り様が垣間見えた。混沌を秩序立てることで天地創造がなされたように、この町のカオスから新しい文化を創造してきた。カオスから想像、そして創造に至らせる原動力が何かを尋ねたときに、それがカオスの相容れない状況で覚える孤独であり悲哀だと、メロウな旋律を追う電子音が教えてくれた。この町は孤独の原理で成り立っている。地下から這い上がるドブ臭さと汚泥で塗り固められた地表というカオスの在り様の一方で、孤独を突き詰めて排出される叡智と芸術性がその一方にある。だからアランウォーカーのメロディはこの町によく似合っていて住人達は旋律をその輪郭として纏っている。

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