2019年9月19日木曜日
今日の想い 1040
関係性を維持しておくという必要性は感じているが、かといって今の組織に自分を委ねてしまうことは善しとしない。教会は教会で、ビジネスはビジネスで、それぞれに中心者はいるが、それはまとめ役であって意思決定存在であったり帰依すべき存在という中心ではない。そんなスタンスだから立てられた中心者もやりにくいとは思うが、しかしビジネスの中心者を決める時、私ははっきりと、これからは組合のまとめ役としての中心であって意思決定はそれぞれの長が取るべきだと話した。殆どは私が何を言っているのかわからないという反応でその場で何の意見もでなかった。ある者は私を冗談交じりにサタン呼ばわりし、私は愛想笑いで応えるしかなかった。皆は今やっていることそれ自体が摂理で、それに殉じることがみ旨だと信じ切っている。信じ切っているけれども、かといって目標を御題目として唱えるばかりで実績は伴っていない。この世的に言えば与えられた位置でマネージメントは辛うじて為しているが、もっとも必要なそれぞれのビジネスをどうしたいのかというオーナー意識に欠けている。原理的にいえば本当の摂理が何で、今ある位置からどう牽引して摂理の願いに応えていくかという主人精神がないからブループリントもない。ビジネスも教会と同じで、先天時代の意識をひきずったまま抜け出せなくて後天時代の入り口すら見いだせないままだ。人間の意識がこれほどまでに凝り固まり柔軟性に欠けるのかを思い知らされた。では自分だけで新しい信仰観、摂理観による歩みを踏み出していけるのかというと、個人で自分の信じるところをやっていけばいいというような生易しいものではない。自分の感情をいうと、蚊帳の外のような空気から逃げ出したいが、しかしここで関係性を切ってしまうことを私の良心は許さない。
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