2019年12月10日火曜日

今日の想い 1048

食口は最も孤独な時代(期間)を今戦っている。真の愛に生きることの定義が与えて忘れることであるなら、御父母様であれ神様であれ隣の心優しい兄弟姉妹であっても、誰からも愛を期待する立場にはない。そのように御父母様からも神様からも無視された立場で、それでも私自身が愛の発信者となって真の愛に生きる生活を為すことを願われている。食口達もあてにはならない。ここぞという時に冷たい存在だと思っていた方が躓かずにすむ。40日清平修練会で動悸が急に激しくなり、それが一晩中続いて息もからがら死ぬ思いをしたことは前に記したが、ある兄弟ひとりを除いて、私の激しい呼吸にうるさいと声を荒げる者はいても心配してくれる兄弟は他誰もいなかった。つくづく兄弟姉妹とは名ばかりで冷たいロボットのように思えたものだ。しかしそれも当然といえばいえる。愛の人格者になることが清平へ来る目的ではなく、それぞれが思い込んでいる救い(御利益)を得る為に清平に来ているからだ。自分だってそうだ。単純に修行が苦しいというのももちろんあるが、先祖解怨に愛の人格は要求されずひたすら修行して内面の罪らしきものを暴くことが救いの為の条件だ。しかし清平に限らず食口が目指すものはノルマの達成であったり指示された事柄に専念することであって、それが真の愛の人格とどういう関係にあるのかよく考える必要がある。個人の事情、教会の事情がどうあれ、それでも新しい時代は開いてしまった。新しい時代は愛溢れる世界だと先天意識で期待していたが、じつは新しい時代は真の愛が要求される時代だ。愛を受ける受け身の時代ではなく、愛溢れる世界にするために惜しみない愛を差し出さざるを得ないという能動的主体的時代だ。

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