2019年12月26日木曜日
日本でのクリスマス
今年のクリスマスは日本で迎えることになった。最近はアメリカのクリスマスも随分商業的になってクリスマス当日も開いている店も多く、どちらで過ごしても同じようなものだが、日本でメリークリスマスと挨拶するような習慣はないのでその点は向こうのほうが雰囲気はあるだろうか。このクリスマスの雰囲気はキリスト教波及の最も大きな役割を果たした立役者だろう。イメージ(知)と雰囲気(感情)が相働いて(授受作用によって)キリスト教文化圏を今日まで広げてきた。私達には原理という論理はあるけれども、それは科学的ではあるが知としてイメージできるほどに駆り立て、万人が受け入れるという雰囲気が欠如している。原理の生活化とよく言われたものだが、それは教条的なものを言っていることは確かで、そうなると普通の人が心を開く雰囲気とは異なって益々受け入れがたいものとなる。御父様が言われた平準化の意味を知って、生活化に真の愛の雰囲気が漂うという行動に移すようになるまで、私達の群れは偏見から逃れられないだろう。今日はクリスマスだけれども親戚の葬儀があって参席してきた。多くは大人だから私のことを知ってはいても敢えてそのことに触れはしない。しかし親戚の中には昔からの幼馴染もいて根掘り葉掘り聞いてくる者もある。私は一通り棘のある相手の質問を聞いた後、先ず既に卒業したことを敢えて述べる。そうしないと話はいつまでも噛み合わないし当然心も開かない。相手の懐に入らない限り伝道も氏族復帰も絵空事だと私は信じている。だから今日も誰よりも頭を低くし、浄土真宗本願寺派の慣習にしっかり従い、念仏もしっかり唱え、そうすると安心して誰も私に対して構えることはなくなる。本当の氏族復帰戦略はそこからだ。念仏を唱えながら、それでも私はただ雰囲気に酔っていたこれまでのクリスマスとは異なり、一人の霊魂を霊界に送る祈りを捧げ、クリスマス以上のクリスマスを今日は過ごしたと思った。
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