2021年1月23日土曜日

今日の想い 1092

 アメリカの新しい挑戦は始まったばかりだ。アメリカと言う国の形をとってはいるが、確かにDS資本による株式会社に過ぎなかった。資本が全てでありその資本元の言いなりだった。これまで資本元に歯向かう杭はことごとく打たれてきた。その意味ではCITYの申し子であって建国精神に謳う本来の自由とは裏腹に、CITYのWIREFENCE(鉄条網)に囲われた条件付き自由にすぎなかった。そのWIREFENCEを自らの手でかなぐり捨てていく。それはすなわちCITYが育て続けてきたドル通貨をかなぐり捨てていくことであり、この挑戦の最大の山場で最大の産みの苦しみは新通貨の発行にある。トランプの一声でCAPITOL前に集まった大群衆に見るように、自由を手にすべく新次元世界へと飛び立たんとするエネルギーは、恋い慕えども手の届かなかった自由の女神への突進だ。DSの根城がWALLSTREETのNYであり、自由の象徴である自由の女神はNYの只中に囲われている。今までにも株式会社を抜け出し国として自立する機会は何度かあった。しかしその都度或る者は芽を摘まれ、また多くの者は懐柔された。堕落人間の堕落性本性を巧みに操られながら、堕落天使の一群による闇の支配は今日まで続いて来た。後天開闢時代の幕開けと共に、起こるべくして起こった背後の熾烈な闘いに於いて、光の一群が闇の一群に勝つかどうかは、新通貨による大混乱を私欲を超える群れがマジョリティーとなり、その世界的連携を通して、抑えられるかどうかに依っている。ネサラゲサラ法はその発音の印象の如く胡散臭さが滲み出ている。最初に耳にしたときは、昔読んだマンガの呪文エコエコアザラクのようなものかと勘繰ったほどだ。最終的にどこに落ち着いていくかだが、DS側の人間の回心と協力が無ければ、ヒトラーの共和国幻想のようにどこまでも強権的にならざるを得ないだろう。自由を支える土台がどれほど脆く、またどれほどの犠牲の対価を要するか、トランプ党(仮)はどこまで見通しているだろうか。

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